ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 チベットハウス・ジャパン検索サイトマップメニュー
 
ホーム>チベットについて>チベット仏教>シネー(寂止)についての法話 第3回 ゲシェー・ロサン・ケンラプ

シネー(寂止)についての法話 第3回 ゲシェー・ロサン・ケンラプ

第1回 | 第2回 | 第3回 | 第4回

シネー(寂止)についての法話  第3回 ゲシェー・ロサン・ケンラプ

最初に「シネー」(寂止)とは何なのか、簡単にご紹介したいと思います。それから「シネー」の各項目についてお話しましょう。その際、釈尊自身の教えのみならず、釈尊の教えに解説を加えたナーガールジュナ(龍樹)などの大学者たちが著した論書にも基づき、「シネー」を解説したいと思います。論書を著した大学者たちには、ナーガールジュナのほかに、シャーンティデーヴァ、アサンガ、カマラシーラといった方々がいらっしゃいます。

それではまず、「シネー」とは何か、「シネー」を行じるにあたって、どのような準備が必要かをお話しましょう。

五つの障害

「シネー」を行じる際に、断ち切るべき障害となるものが五つあります。

  1. 「懈怠(けだい)」(怠慢になること)
  2. 「失念」(瞑想の対象を失うこと)
  3. 「昏沈(こんちん)」「(心が沈み込み散漫になること)と「掉挙(じょうこ)」(心が昂ぶること)
  4. 心が「昏沈」「掉挙」していることを知りながら、しかるべき対処法をとらない
  5. 逆に必要もないのに対処法をとり続ける

これら五つの障害を断じるために、八種類の行を行います。

「懈怠」、つまり怠慢にもいろいろあります。瞑想を始めないうちから、「瞑想なんかしたくないなあ」といった気持ちが起きる。こうした形の怠慢は「努力」によって退治することができます。「努力」を起こすには、「シネー」を達成したいという願望が必要です。そのような願望を起こすには、そのおおもとに信仰がなければなりません。また努力の結果、「軽安(きょうあん)」が得られます。「軽安」とは、難なく望みどおり瞑想状態に入れる心の巧みさ、しなやかさのことです。「懈怠」への対処法には、「信仰」、「願望」、「努力」、「軽安」の四つがあるわけです。
「失念」(瞑想の対象を失うような場合)には、「念」(注意深さ)が求められます。

心が沈み込んだり散ったりする「昏沈(こんちん)」に陥った際に役立つのが、「正知shes bzhin(しょうち)」です。「正知」とは、瞑想中に心が沈み込んだり散ったりする時に、すぐさまそれを察する力のことです。正知そのものは、心が沈み込んだり散ったりしたその状態から解き放ってくれはしません。心がこういう状態になったから、しかるべき対処法を施さなくてはなりませんよと警告を発する役目なのです。心が沈み込んだり散ったりすると、集中できなくなるために対象を逸してしまいます。そこでしかるべき対処法をとり、いずれにも偏らない金剛のごとき平等心に落ち着くのです。

以上が「シネー」を行じる際の基礎となる教えです。
「シネー」を行じる際に、要となるのは二つです。ひとつは意識を一点に集中でき、瞑想の対象を失わないこと。もうひとつは、瞑想の対象が明るく澄みわたっていること。「安定」と「明瞭さ」の二つです。これぞ「シネー」の本質です。

「昏沈(こんちん)」 ― 沈み込んだ心 ―

明るく澄みわたっているはずの瞑想の対象がぼけてきたならば、心が沈みこんできた証拠です。心がさらに沈み込んだならば、眠くなってきます。「沈み込んだ心」にも、粗いものと微細なものの二種類があります。昂ぶった心である「掉挙」にも同じく粗いものと微細なものがあります。

まず、「昏沈(心が沈みこむ)」の本質とは何かというと、心が対象を捕らえる力が弱まって、対象の鮮明さが失われることです。そのことについてカマラシーラは『修習次第?』で、「暗闇にいる人のように、目を閉じたように、心が対象を明瞭に見られないときを沈み込んでいると理解すべきである」と述べています。カマラシーラの『修習次第』ほど、「昏沈」について詳しい説明はありません。

では、「粗い沈み込んだ心(bying ba rags pa)」とは何でしょうか。心が対象に定まりながら、それが明瞭でなくなった状態を指します。「微細な沈み込んだ心(bying ba phra mo)」とは、心が対象から揺らぐことなく対象そのものも明瞭でありながら、少々対象の把握力が緩んできた状態を指します。手に紐を握った人を想像してみてください。ある人は目覚めていて紐をしっかり握っている。別の人は居眠りしかけているが、一応紐を握っていることは握っている。後者の状態が、「微細な沈み込んだ心」です。

心が沈み込み、それを察知したならば、それを取り除くべく、しかるべき対処法をとらなくてはなりません。たとえば、仏の姿や無常という概念を観想するなどの瞑想を行い、心が軽くなり明晰になったなら、再び「シネー」に戻ります。

人によっては、瞑想しているつもりで、心が沈みこんだ状態のままの人もいます。このような人たちの意識は明晰ではなく、暗く垂れ込めています。沈み込んだ状態を「シネー」と取り違えてそのまま瞑想を続けた人は、来世、知性のぼんやりした人になる恐れもあります。

「掉挙(じょうこ)」 ― 昂ぶった心 ―

「掉挙」とは、心が対象に定まらず、対象以外に散乱している「昂ぶった心」のことを言います。その本質は、貪りの心によって意識が様々な対象を追いかけてしまうことにあります。「昂ぶった心」にも、「沈み込んだ心」と同様、粗いものと微細なものの二つがあります。意識が瞑想対象から完全にずれてしまうのが、「粗い昂ぶった心」です。瞑想対象から完全にずれなくても、意識が対象からぶれたり揺れたりするのが――たとえば氷そのものは溶けていなくても、そのまわりに水が滲み出て来るような――「微細な昂ぶった心」です。
「沈み込んだ心」と「昂ぶった心」については、経論ともに多くの解説がなされていますが、以上をもって肝心要の部分は解説できたと思います。

「シネー」に至る心の九段階

1)それぞれのものに心を安住させる

私たちの心は常に外界の様々なものに魅せられ、心が揺れ動いています。外界の対象に揺れ動く心を収斂させ、対象に意識を集中させます。これが第一段階です。瞑想の対象は仏の姿でもなんでもかまいません。それに意識を集中させるのです。

2)続けて安住させる

こうやって瞑想しても、私たちの意識はいつも揺らいでいます。対象に固定した心が揺らがないよう、あるいは心が沈み込んだり昂ぶったりしないよう注意して、続けて安定させます。
瞑想の対象については、いろいろあるでしょう。無常、空性など様々なことを瞑想の対象にすることができます。

3)引き戻して安住させる

ここで心が沈み込んだり昂ぶったりして、瞑想の対象を逸してしまっても、再び心を対象に引き戻します。これが第三段階です。

4)身近に安住させる

心が散乱したことを知って、それを断ち切り、ひとつの対象に努力して安定させます。

5)折伏する

「三昧(さんまい)」(精神を集中し、雑念を捨て去ること)の「シネー」の徳性を知り、それに対して喜びの心を持ちます。これを「折伏する」と言います。

6)鎮める

心が散乱することを過失とみなして、「三昧」を喜ばない心を鎮めます。

7)極めてよく鎮める

貪欲の心や不満足感、心が重く沈み込んで怠慢になることの過失を知り、それが生じたところで鎮めます。

8)集中する

この段階では、心が沈み込んだり昂ぶったりといった過失は完全になくなっています。では、この状態が「シネー」かと問われれば、違います。ここでは果断なく努力して、続けて「三昧」の状態に安住します。

9)平等なる境地に安住させる

このあとに、最後の段階である「平等なる境地に安住させる」が来ます。この段階でも「シネー」は達成されていません。しかしこの境地に至れば、修行者は自分が望むだけ、努力せずに、瞑想を行うことができます。

「軽安(きょうあん)」

では「シネー」そのものはどうすれば到達できるのでしょうか。これには身体の「軽安(きょうあん)」と心の「軽安」の二つが必要です。「軽安」とは、なんの努力もしなくても、易々と瞑想が達成できてしまう軽やかさ、しなやかさ、巧みさのことをいいます。瞑想する際の様々な不快感、やりにくさ、障害、煩悩をすべて断ち切った状態のことです。順序からいうと、まず「心の軽安」、次に「身体の軽安」を得ます。

「心の軽安」とは、何を瞑想しても易々とそれが達成でき、いくらでもその境地にとどまれる心のしなやかさのことです。「心の軽安」を獲得できれば、その力によって身体の感覚が変わり、「身体の軽安」を獲得することができるのです。そして「身体の軽安」が得られれば、身体の中に安楽が生じ、それによって心の中に安楽が生じます。以上述べた要素がすべて兼ね備わったところで、「シネー」の境地に至るのです。これは簡単に得られるものではありません。瞑想をちょっと試みれば、たちまち「シネー」の境地に至れるなどということは決してありません。いかなるものを瞑想の対象としようと、これまで述べた必要な要素をすべて兼ね備えることができるよう、ひたすら努力を続けることが肝心なのです。一生涯かけてもまだ達成できないなら、生まれ変わってもまだ続ける。その程度の覚悟が必要です。手っ取り早くやろうなどと甘い考えを抱いて瞑想しても、途中で放棄するのがおちです。


第2回へ

第4回へ


第1回 | 第2回 | 第3回 | 第4回

チベットについて

ページトップへ戻る


トップページサイトマップお問い合わせ

チベットの現状をご理解して頂き、どうもありがとうございます。
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所はチベット亡命政権の代表機関として維持しつつ、さらに幅広い広報活動を続けるため、日本の皆様に暖かいご支援をお願いしております。ご寄付される方は、以下の口座宛てにご支援をどうぞ宜しくお願い致します。

■ゆうちょ銀行

 口座記号番号:00100-1-89768
 加入者名:チベットハウス

■三菱UFJ銀行

 支店名:新宿通支店(店番:050)
 口座種別:普通
 口座番号:2999213
 口座名義:特定非営利活動法人 チベットハウス・ジャパン