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チベット仏教ニンマ派高僧トゥルシック・リンポチェによる
「37の菩薩の実践」Part3

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三つの正しきもの

昨日も申し上げたように、仏法を聴聞する際には、正しい動機をもつことが大切です。輪廻の苦しみの大海のなかに漂っている無量の衆生を苦しみを離れた仏の境地に導こうという決意、広大なる心構え、菩提心をもってこの教えに耳を傾けてください。善行の大小は、心構え(動機)の大小にかかっているといにしえの聖者たちも述べています。
 ロンチェン・ラプジャムパは「三つの正しきもの(dam pa gsum)を守らなければ、いかなる善根も功徳となりえない」と説かれました。「三つの正しきもの」とは以下の三つです。

  1. 前行としての正しい発心(sbyor ba sems bskyed dam pa)
  2. 本行としての正しい空性(dngos gzhi dmigs med dam pa)
  3. 本行のあとの正しい廻向(mjug sngo ba dam pa)

「前行としての正しい発心」とは、衆生の利益のみを念じ、利己的な心など片鱗もなく、ただ利他の心をもってこの修行をしようと(ここでは仏法に耳を傾けるなど)決意することです。二番目の「本行としての正しい空性」とは、修行を始めて終わるまで(今のこの状況では仏法に耳を傾けている間ということになりますが)、すべてのものは夢か幻のようなものであり、実体を欠いている、空そのものであると常に念じていることです。チベット語でdmigs medとは無所得(主観と客観の区別をしないこと)つまり空性を意味します。そしてまた夢か幻のように実体を欠いていることをも意味します。

本行によって得られる善根はごく些細なものです。この善根をどんどん増やしていくためには、廻向する必要があります。空に果てがないように、衆生もまた無量に存在します。この無量に存在する衆生を仏の境地に至らしめるために、自分が積んだこの善根を衆生にまわすのが廻向です。それでは何故この廻向を行わなければならないのでしょう。

廻向をしておかなければ、一瞬怒りの心を起こしただけで、これまで積んだ善根は失われてしまいます。また自分が良いことをしたと他人に言いふらしたり、宣伝したりしても、善根は失われてしまいます。「ああ、うまくいかなかった」と後悔の念に苛まれても善根は失われます。このように善根を失わせる四つの原因があるのです。この四つの原因を無効にするために、廻向を行うのです。一旦廻向してしまえば、善根が失われることはありません。これら「三つの正しきもの」を押えたうえで昨夜に続き教えに耳を傾けてみてください。

第七句――帰依

自身も輪廻の牢獄につながれている
(輪廻の中にいまだ留まる)世間の神々に
誰を護ることができよう
それゆえ誰を護っても欺くことのない
三法(仏陀・仏法・僧伽)に帰依するのが
菩薩の修行である

輪廻と涅槃を、苦楽を怖れないなら帰依は必要ありません。しかし私たちは輪廻と涅槃を、苦楽を怖れます。ラマ・ジクメはこのようなことを言っています。「輪廻世界の存在はみな輪廻世界を怖れ、そこから護ってくれるものを探している」と。未だ輪廻世界に留まっている世間の神々、梵天(ブラフマー)や帝釈天、あるいはツェンやギェルポといった神魔のたぐいは、大きな力を持っています。しかし輪廻世界の恐怖から護って欲しいといくら彼らに頼んでも、そして彼らの力がいかにすごくても、自身が輪廻から解き放たれていない以上、彼らに私たちを輪廻の恐怖から解き放つ力はありません。その場限りのご利益をもたらすのがせいぜいといったところです。

ならばいかなる存在が私たちを護ってくれるのでしょう。私たちを輪廻の苦海から救いだし、恒常なる幸福の境地(涅槃)に導いてくれる存在こそが私たちを護ってくれるのであり、こうした存在に、すなわち仏・法・僧の三宝にこそ帰依すべきなのです。
パドマサンバヴァも「輪廻世界の拠り所にいかに帰依しても、結局のところは欺かれる。しかし三宝という帰依処(帰依の対象)には欺かれることはない」とおっしゃられています。輪廻世界からいまだ解き放たれていない存在にいかに帰依しようと、護ってくださいとお願いしようと、彼らにはその力はありません。
彼らは最終的にはあなたを欺くでしょう。しかし三宝という帰依処は、今生でも来世でもあなたを欺くことはありません。欺くことがないということは、間違うことがなく、真正であるということです。ですから「欺くことなき三宝(bslu med dkon mchog gsum)」とも呼ばれているのです。

また「帰依なくして仏教の誓いを立てることはできない」ともいいます。仏教の誓いの基盤をなすものは帰依なのです。帰依なくして仏教の誓いを立てても、その血脈につながることはできません。修行の成果として一切知の境地に至ることができるのも、そもそも帰依が基盤としてあるからです。

ですから、苦そのものである輪廻を怖れ、三宝が真正であり、欺くことがないことを心の奥底から信じ、帰依の誓いを立てることが肝心です。
帰依の教えは三つに分かれています。

  1. 帰依の分類
  2. 帰依の仕方
  3. 帰依についてのアドバイスそして帰依をしたことによって得られる利益

まず 1. の帰依の分類からご説明しましょう。帰依の分類も二種類あります。

  1. 帰依の分類
    1. 帰依の因である信心のありかたの分類
    2. 帰依そのものの分類です。

1) 帰依の因である信心のありかたの分類

帰依の因である信心のありかたは三種類、これについては先日「ラマへの拠りかた」の項で説明しました。三種の信心とは希求の信心('dod pa'i dad pa)、清浄な信心(dang ba'i dad pa)、堅固不壊の信心(mi phyed pa'i dad pa)です。この三種の信心の中で、帰依の際に必要なのは、堅固不壊の信心、 つまり信仰の信心(yid ches kyi dad pa)です。信仰の信心があれば、功徳をたくさん積むことができます。その昔、聖国インドに大功徳王というものがいました。この王はとてつもなく深い哀れみの心を持っており、人殺しなどをした極悪な罪人がいても、罰したりできない性格でした。大臣たちは罪人を処刑できなければ、国をきちんと治めることもできないだろう、しかし慈悲深い王に処刑をお願いしてもかなうまいと思い、仔を生んだばかりですっかり凶暴化している象のそばに罪人をつれていき、殺させようとしました。いきりたった象は罪人の体に鼻を巻きつけ、高々と持ち上げて、地面に叩きつけようとしました。そのとき、象は罪人が赤い衣服を身につけているのに気づき、比丘にちがいないと思ったのです。象は罪人を地面に叩きつけるどころか、そっと地面において、鼻で草をとって、罪人の体についた泥をぬぐったのです。驚いた大臣たちは、その話を王に伝えました。王は、象ですらも、仏・法・僧の三宝にこれほど敬意の念を払うのだと感嘆し、自身でもまた三宝に帰依し、信心をおこしました。帰依と信心によってさらに功徳を積んだ大功徳王はその後、世界の半分を支配する王となったといいます。

2) 帰依そのものの分類

これには(1)果の帰依('bras skyabs)と(2)因の帰依(rgyu skyabs)の二種類があります。「果の帰依」とは、あなた方が仏・法・僧の三宝に帰依して、正法を行じた結果得られるものです。三宝に帰依し修行すれば、あなた方自身のなかに三宝の徳性が生じます。それがすなわち「果の帰依」です。今はもちろん三宝の徳性をもってはいません。もっていないからこそ、まず、「因の帰依」を学び、それを実践していくことが肝心です。
また上士の帰依・中士の帰依・下士の帰依の三種類に分けることができます。この三種は心がまえ・時間・対象の点においてそれぞれ違いがあります。

下士の帰依

地獄・餓鬼・畜生の三つの悪しき境地(三悪趣)の苦に怯え、来世によりよい境地、天界や人の世界に生まれ変わりたいという思いにかられて、仏・法・僧の三宝に信仰をおこし、帰依するのがすなわち下士(凡夫)の心がまえです。帰依はその時に限っていえば、自分が死ぬまで行えばよいのです。そして最終目的は天界(輪廻の世界から解き放たれていない天衆の世界)か人の世界に転生することです。あるいは自分の人生に障害をもたらしている病気や魔物を追い払うことができるまで帰依すればよいのです。帰依の対象はもちろん仏・法・僧の三宝ですが、仏といっても仏像や仏の姿を描いた仏画や、比丘や仏教修行者といった目に見えるものに対して帰依します。

異教徒であっても、幸福を願い、善なる教えにしたがって修行をすることはあります。しかし異教徒は仏・法・僧の三宝に帰依することはありません。仏教徒と異教徒を区別するのは、三宝への帰依があるなしにかかっています。三宝への帰依があれば仏教徒ですし、なければ異教徒です。

中士の帰依

中士は輪廻の世界の一切の苦しみから解き放たれ、涅槃寂静の境地に至ることを望んで帰依を行います。時間の観点からいうと、その場に限っていえば死ぬまで帰依すればよいのです。最終目的は阿羅漢の境地を得ることです。
 かれらにとって仏は道を示してくれる存在、仏法は道であり、僧伽(仏教の修行者たちの集まり)は道を一緒に歩んでくれる友達です。
下士と中士の帰依は小乗仏教の帰依です。ともに利己的な目的で帰依しているのであり、利他的な目的で帰依しているのではありません。しかし私たちは下士や中士ではない大乗仏教の帰依を行う必要があるのです。

上士の帰依

大乗仏教の顕教と密教の帰依のおおもとはあわれみの心です。それも信心のあるあわれみの心です。つまり衆生へのあわれみの心と三宝への信心の両方が兼ね備わった帰依を行うのが上士の帰依です。帰依をする際にも、利己心ではなく利他心のみでおこないます。空のごとく無限に存在する衆生たちはみな自分の父であり、母である。この父母なる衆生は苦の大海のなかにある。「私はこの衆生たちを地獄・餓鬼・畜生の苦から、輪廻の苦から救い、仏の境地に導こう」、こういった心がまえで三宝に帰依するのが上士の帰依なのです。

利己心に基づく下士の帰依と中士の帰依は、言ってみれば小心者の帰依です。上士の帰依は、利他心に基づき、あわれみの心と信心の両方を兼ね備えていなければなりません。時間という観点からいえば、上士は仏の真髄を、つまり菩提(悟り)を得るまで、仏の境地に至るまで、帰依し続けます。

上士の帰依の対象にも通常のものと、特別なものがあります。そこで三宝とはなにかをまず知っておく必要があるでしょう。

三宝とは何か ― 仏

その昔お釈迦様がまだ悟りを開かれる前、ただの人間だった時に、以下のような誓約を立てられました。生きとし生けるものが仏の境地にたどりつくまで、五位(修道上の位を五段に分けたもの)と菩薩の十地(悟りに至るまでの菩薩が修行すべき十の階位)を精進しよう、その間、決して利己的な行動に走ることなく、ひたすら他の生きもののためにつくそうと。彼はひたすら罪や障害を浄化し、福徳と智慧という二つの資糧を積み、聖国インドのブッダガヤに至って、菩提樹の木の下で座し、禅定に入られました。そして消滅変化を離れた永遠の智慧に真に出会われ、五智と四身を得られて悟りを開かれました。これがすなわち「(仏法を)お示しくださる無上の仏(という)宝」です。

チベット語のston paは「示す」、あるいは「説く」ことを意味しますが、お釈迦様が何を示したのかというと、苦楽の源を、善行をなせばその果として幸福を得、悪業をなせばその果として苦をえるという真理を、そして菩薩の道を示されたのです。お釈迦様が説かれた修行の道は真正なものであり、決して誤りはありません。

三宝とは何か ― 仏法

三宝の二つ目はダルマ、つまり仏法です。釈尊は生きとし生けるものの心のありかたに応じて八万四千の法門を説かれました。この八万四千の法門によって教理(lung)と証悟(rtogs pa)を示したのです。教理に属するのが経・戒・論の三蔵です。証悟に属するのが戒律・禅定・智慧の三学です。
「お護りくださる無上の仏法という宝」というからには仏法は私たちを護ってくれる存在であるわけです。仏法を実践することによって、私たちは輪廻世界のさまざまな苦しみから護ってもらえます。仏法とは、無上の護り手であるとともに、決して誤りを犯さないものなのです。しかしそのためにはまず私たち自身が仏法を実践しなければなりません。

釈尊自身も「仏法を実践しなさい」とおっしゃられています。いくら釈尊のお傍にあり、仏法を聴聞していても、それを実践しなければどうにもなりません。ちょうどデーヴァダッタと善星比丘(legs pa'i skar ma)がそうであったように。デーヴァダッタは釈尊のいとこでした。善星比丘は釈尊と同じくらい三蔵に通じていましたが、いっこうに修行をしようとはしませんでした。この二人は真理を説いた教えを無数に聴聞しながら、まったく実践しようとせず、釈尊に対して邪見をおこし、反逆しました。実践することで仏法はあなた方の護り手になってくれるのです。

仏法とは薬のようなもの、病気にかかったあなたを適切に治癒してくれます。

三宝とは何か ― 僧(僧伽)

次は僧(僧伽=修行者たちの集まり)です。釈尊が入滅して久しいのに、いまだ仏法が保たれているのは僧伽があるからです。梵天や帝釈天、大自在天、日神、月神など輪廻世界にいる高次の神々は大勢います。しかしこうした神々が仏法を伝えてくれるわけではないのです。釈尊が真理を示してくれる人であることを信じ、仏法とは私たちを苦から護ってくれるものであると信じるのが僧(僧伽=修行者たちの集まり)です。

さきほど仏法にも教理(lung)と証悟(rtogs pa)があると述べましたが、教理は師が弟子に仏法を仏教哲学の観点から解き明かすこと、証悟は修行においてのみとらえることができるものです。これは別名「説法をきくこと(bshad pa)」「修行すること(sgub thabs)」とも呼ばれます。今この場所に仏法に耳を傾けるために集まられた方々は、まだ仏・法・僧の三宝そのものとはいえません。しかし仏法僧の三宝の後を追う存在なのです。


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