チベット仏教ニンマ派高僧トゥルシック・リンポチェによる
「37の菩薩の実践」Part2
ラマが備えるべき徳性
ならばよきラマが備えるべき徳性とはなんでしょう。まず怒らないこと、すなわち忍耐力があることです。忍耐力はすばらしい徳性です。それとは逆に怒りっぽく、驕慢なものはラマとしてのよき徳性を欠いています。仏たちはみな六波羅蜜行を成就した存在ですが、中でも特に弥勒(マイトレーヤ)は忍耐力に富んでいます。弥勒の身体はとても大きいのですが、それは弥勒の忍耐の徳性のあらわれであるといわれています。いくら善根を多くつんでも、それを一瞬のうちに失わせるのは怒りです。怒りがないのが善きラマです。
さらに一切の衆生が、苦と苦の因から離れることができるようにと願うあわれみの心と、幸福と幸福の因を持つことができるようにと願う慈しみの心をもっていること、これも大切です。慈悲心こそ根本とすべき徳性です。これを踏まえたうえで、よきラマはさらに四つの徳性を有していなければなりません。
- 広大なる教えを受けていること。顕教・密教の経典と論書、別解脱戒(比丘、比丘尼、在家信者の戒など)・菩薩戒・三昧耶戒(密教の戒)の大切さを理解し、経・律・論の三蔵に通じていること。
- 煩悩障(悟りへの障害となる煩悩のさわり)と所知障(知のはたらきの妨げなる微細な障害)という二つの障害をすべて捨て、知るべきことをすべて悟り、これら二つの徳性について、他人がなんら疑いの念を抱くことがない。
- ひとり子に対する母のように、生きとし生けるものを慈しむことができる。
- 一切の煩悩と解脱の特質が空性そのものであることを示すことができる
ラマへの拠り方
このようなラマに私たちは拠るべきなのです。これには心において拠るものと行動において拠るものの二つがあります。心において頼るのも
- 信心によるもの
- 恩を念じるもの
の二種類あります。経典にも「信心を前行の母のように生じせしめよ」と述べられています。信心は帰依の入口であり、ラマに拠るための入口でもあります。
三種の信心
信心にも三種類あります。希求の信心('dod pa'i dad pa)、清浄な信心(dang ba'i dad pa)、堅固不壊の信心(mi phyed pa'i dad pa)です。希求の信心とは「自分にもよき徳性が欲しい、そのために信心をおこそう」と思うことで、信心の入口には足を踏み入れているとはいえ、最上の信心と呼ぶことはできません。特にすばらしい仏像や仏塔などに参拝したとき、尊敬すべき、優れたラマや師たちにお目にかかったとき、「なんてすばらしいのだ」という驚嘆の気持ちが自ずと生じるものですが、これが清浄な信心です。これもまた最上の信心と呼ぶことはできません。真の最高の信心とは堅固不壊の信心、もっとくだけた言葉でいえば信仰の信心です。堅固不壊の信心とは、よき徳性を備えたラマに対して、心の奥底から深い、不退転の信仰心をおこすことをいいます。
希求の信心や清浄な信心は信心の前行のようなものです。
ラマを仏とみなす
私たちは現実に仏や如来たちに出会うだけの功徳を有していません。ですからよきラマに出会ったときに仏の化身そのものであると、その徳性は仏の徳性そのものであると見なすのです。狩人サラハは野生動物を狩っていましたが、獲物の生きものは仏国土に生まれ変わっていました。漁師のティローパは魚を釣ってはそれを食べていましたが、獲物の魚は仏国土に転生していました。でも昨今ではこのような高い悟りに至った成就者はいないでしょう。もちろんサラハはごく特別な存在で、普通の狩人は生活のため、戯れのため、他の生きものを殺めているにすぎません。サラハは殺した生きもの意識をより高い境地にひきあげてあげていました。そこを間違えてはいけません。その昔インドにはサラハに代表されるような八十四人の偉大なる成就者がいました。
「大宝積経」にも「信心なき者に白い浄法が生まれることはない。炎で焼かれた種子に緑の芽が芽吹くことがないように」と説かれています。信心のない者に聞思修の智慧が生じることはないのです。
恩を念じる
二番目の「恩を念じる」についてお話しましょう。これまで過去にあまたの仏たちがこの世に生じました。だがその慈悲の心でさえも、私たち生きものを輪廻の苦しみの大海から護ることはできませんでした。それは私たちが自らの煩悩を四つの力に依って断ち切ることができなかったからです。また菩薩たちも無数に出現しましたが、その慈悲の心も私たちを輪廻から解き放つことはできませんでした。それ以外にも、インドには八十四人の成就者、雪の国チベットにも数多くの聖者が現れました。しかし私たちはそのような偉大な存在たちと出会う幸運には恵まれませんでした。
現代は五濁悪世(ごじょくあくせ)、つまり五つの汚れに満ちている時代です。五濁とは以下の五つです。
- 劫濁――戦争や飢餓や病気が増える時代の濁り
- 見濁――思想の乱れ
- 煩悩濁――煩悩がはびこる
- 衆生濁――衆生の資質が低下する
- 命濁――衆生の寿命が短くなる
これらの五濁が満ちている時代に、私たちは人として生まれる幸運には恵まれたものの、不善の行為ばかりなしています。にもかかわらず私たちは幸運にもラマと出会い、ラマから教えを受けることができたのです。私たちには八万四千の煩悩があります。せんじつめればこの八万四千の煩悩も怒り・貪り・無知の三毒にまとめることができます。これを対治するための方便としてラマたちは釈尊から伝わる八万四千の法を説いてくれます。これは仏たちから直接教えを受けているのと変わらず、自分にとってはラマとは仏をもしのぐありがたい存在なのです。
この世には千の仏が現れるといいます。しかし悪世ともなると衆生が心底堕落して教化することも不可能になるため、いかなる仏もこの世に現れようとはしないのです。その時率先してこの世に現れてくださったのが釈尊なのです。逆に未来仏の弥勒の時代ともなると、人々はあまりにも幸運に恵まれ、富と長寿を享受しているために、仏が出現しても教化することが難しいといわれます。その時にあえて衆生のためにこの世に現れるのが弥勒仏なのです。
ラマの徳性は仏たちに等しいと見なさなくてはなりません。そして恩深いとい点では仏たちをもしのぎ、はかりしれないものがあるのです。
行動を通じてラマに拠る
行動を通じてラマに拠るとは、三種の方法でラマが満足いくよう仕えることです(zhabs tog rnam gsum三種承事)。もっとも優れた仕え方は修行を供養すること(rab sgrub pa'i mchod pa)、中程度の仕え方は身体と言葉で仕えること('bring lus ngag gi zhabs tog)、もっとも程度の低い仕え方は財を捧げることです(tha ma zang zing gi 'bul ba)。
修行を供養する
修行を供養するとは、ラマの説かれた教えを苦難を乗り越え最後まで実践することです。チベットの偉大なる成就者ミラレパが師であるマルパに、インドの成就者ナローパがティローパに仕えた時のことを思い起こしてみてください。
ティローパはナローパに十二年間のあいだ仏法を説こうとせず、無視するか虐めるかしました。しかし結局はティローパの慈悲の心によって、ナローパは師と等しい高い悟りに至ることが出来たのです。昨今では時代も異なり、ティローパのように弟子に苦難をしいるラマもいませんし、ナローパのように苦難に耐えられる弟子も存在しようもありません。ともあれ喩えとしてあげればそのようなものです。
身体・言葉・心でラマに仕える
修行を供養できれば、身体と言葉において仕えることも、財を捧げる必要もありません。しかし修行を供養できないとなれば、身体・言葉・心においてラマに仕えるしかありません。これが中程度の仕え方です。身体・言葉・心において、ラマの下僕となってお仕えするのです。身体において奉仕し(ラマの部屋の掃除に至るまで)、ラマの言葉にはなんでも従い、仮にラマから叱責されてもそれに腹を立てたりせずに我慢し、叱ることによってラマが自分を教化しようとしているのだと思い、ラマが真実でないことを述べても、自分のためにわけあって嘘をついたのだとみなし、決して邪見などいだかず、感謝の念をもってひたすら尊敬するのです。ミラレパが師であるマルパから苛められながらもひたすら忍の字で仕えたと同じように、身体・言葉・心でラマに仕えるのです。
ミラレパはラマであるマルパに身体・言葉・心を捧げて仏法を説いてくれるようお願いしましたが、まったく教えを受けることができず、何年と月日が無駄にすぎていきました。
失望したミラレパはマルパのもとから逃げ出しました。しばらくしてミラレパの施主から「八千頌般若」を唱えてほしいとの依頼がきました。この「八千頌般若」の中には悟りへといたった菩薩たちがそれまでいかに苦難の道を耐え忍んだかの記述があります。これを読んだミラレパはこれまでの自分の努力など些細なものであったことに気づき、改心してマルパのもとに戻ったといいます。でも日本の人々はとても礼儀正しい人々ばかりですから、ラマへの尊敬の態度について、特に注意する必要もないでしょう。
財を捧げる
もっとも程度の低い仕え方は財を捧げることです。もちろん財を捧げようにもその財がなければが捧げようもないわけですが。しかし財産のある人の中には、自らの財を捧げるという形でラマにお仕えする人もいるのです。
昔のチベットにはこのような習慣もありました。夏場にラマは弟子に「氷が欲しい」と告げます。弟子は遠路はるばる氷探しに行きますが、当然みつからず、ラマに「ありませんでした」と報告します。逆に冬場に「花を持ってきなさい」と命じます。弟子は花を捜しに行きますが、冬場のチベットにそんなものがあるはずもないのです。しかしこうすることによって師と弟子の間には「えにし」ができたのです。
ラマに仕えることによって得られるご利益
このようにラマにお仕えしてどのようなご利益があるのでしょうか。仏の境地にたどりつくためには色身と法身というふたつの仏の身体を獲得しなければなりません。そこで修行という供養を行うことで最終的に法身を、身体・言葉・心でラマに仕え、財を捧げることによって最終的に色身を得ることができるのです。福徳と智慧をつみつくし、罪を浄化しつくすことで私たちは仏の境地にいたることができます。しかし、そのためにはその礎となるものが必要です。
ラマの喩え
ラマは喩えてみれば医師のようなものです。私たちはルン・ティーパ・ペーケン(人間の体内にあるとされる三体液。これらがバランスがとれていると健康が保てるが、いずれかが増えすぎたり減りすぎたりすると病気にかかる)こそ病んでいないものの、三毒を病んではいるのです。怒りという病気を病み、貪りという病気を病み、無知という病気を病んでいるのです。三毒からさらにさまざまな煩悩が、慢心や嫉妬などが生まれでてきます。ですからあなた方は病人のようなものなのです。ラマという医師は、怒りへの処方箋として慈しみの心を、貪りへの処方箋として不貪欲を、無知への処方箋として禅定の瞑想を説きます。ラマの説く正法は喩えてみれば病に効く薬のようなものです。
ただしラマにできるのは教えを説くことだけで、それを実践するのはあなた自身です。仏法を聴聞して智慧を培い、考えをめぐらして智慧を培い、修行することによって智慧を培うのはあなた自身です。ラマはそのための道をただ示されるだけです。あなたの煩悩を断ち切れるのはあなただけなのです。
ラマという医師が処方してくれた薬を飲もうともせず、病気の原因となっている日々の悪しき行動を改めようともしないなら病は治るはずもありません。逆に医師を信頼し、その忠告に従った行動をとれば、煩悩という病は癒えるでしょう。ラマは医師、正法は薬、自分は病人である、病気を治そうとする時と同じように修行に専念し、ラマに拠るべきなのです。
四つの聖なる真理
釈尊は以下のような四つの真理を説かれました。
- この世が苦であるという真理を知りなさい
- 苦の源を断ち切りなさい
- 苦を断じた境地があるという真理
- 苦を断じるための道(を示すことができるのはラマあるいは善師だけである)
苦の源とは煩悩です。煩悩は、私たちの心に湧き上がってくるさまざまな妄念は八万四千種あります。釈尊は苦の源である八万四千の煩悩を断ち切るために、八万四千種の教えを説かれました。煩悩を断ち切ることができればできるほどあなたは高い境地へ赴くことができますし、逆に断ち切ることができなければ凡夫のままです。私たちの最大の敵とは、苦の源である煩悩です。先程アティーシャが「敵の中で最悪の敵は罪深い(悪しき)友である」とドムトゥンパに答えたというエピソードを披露しましたが、私たちの煩悩を引き起こすからこそ罪深い友は最大の敵なのです。
ラマに正しく拠るとは
このように苦を断じるためには師に拠らなければならないのに、弟子の方が、
- 資格を備えたラマに拠ることをしらず、
- 仮に知っていても、怠慢などが原因でラマに拠ろうとせず、
- ラマに対してしかるべき敬意をはらってラマのよき徳性を、ラマのよき考え、行動を学びとらなければならないのに、それができない、
- ラマが仏そのものであると念じるどころか、ラマも自分も同じ人、対等の存在であるとみなす、それどころか
- ラマを軽蔑して、ラマを侮蔑するような言葉を吐く
以上のような行為をしながら、高い悟りを求め、自分が高い悟りを得たという妄言を吐くようようでは、真の悟りに至るどころか、砂を絞って溶かしバター(油)を得ようとするようなものです。あるいは燃える火の中に決して蓮華の花が生えてこないようなのものです。
アティーシャ
ドムトゥンパは師であるアティーシャにこんなことを訊ねました。「チベットには瞑想を成就したと主張するものが沢山いますが、悟りの智慧を生じたものは少ないのです。どうしてでしょうか」するとアティーシャは「あなた方チベット人は、ラマを凡夫と見なし、仏として見なそうとしない。そんなことでどうして悟りの智慧が生じよう」
またチベットのラマたちがアティーシャに両手をあわせて「アティーシャ、どうかなにか教戒をいただきたいのですが」と大声でお願いしたことがありました(というのは失礼な態度であるわけですが)。するとアティーシャは「ははは」と笑い、「私は目も耳もいいから、そんな大きな声で叫ぶ必要はないよ。教戒とはすなわち信仰である。信仰があれば教戒は自ずとくるものだし、信仰が欠如していれば、教戒は与えられはしない」
またある日アティーシャが弟子たちに「おまえたちの中で、もっとも高い悟りの智慧を成就したのは誰か見てみたい」といいました。アティーシャの弟子の中で最も瞑想に熟達していたのはゴムパワで、当人も「悟りと得たということでは私に敵うものはいないだろう」と優越感をもっていました。ドムトゥンパは「私はずっとインド人の師であるアティーシャの通訳をやり、弟子としてお仕えしてきたので、瞑想する暇などなかった。瞑想によって悟りの智慧という点では、私はアティーシャの弟子の中では最低にちがいない」
ところがいざ悟り比べをしてみると瞑想に専念してきたはずのゴムパワは悟りは最低で、ドムトゥンパが最高でした。
それについてアティーシャは「ドムトゥンパは私にひたすら仕えつづけたからだ。またドムトゥンパは私の前にネパールからやってきた導師スムリティに十二年間にわたって仕えていた。それによってドムトゥンパの罪は浄化され、13年目に悟りの智慧を得ていたのだ」と説明しました。
このように苦を断ち切った境地に至るためには、正しい道を示してくれる師が不可欠なのです。
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