4日目 大阪・高野山/高野山奥の院で祈願

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2011年11月1日

来日4日目の朝、ダライ・ラマ法王は弘法大師(大日如来)が眠る寺を訪れた。弘法大師が入定されたその寺は、20万本もの木々に囲まれた高野山に佇んでいる。

高野山真言宗管長松長有慶大僧正に伴われ、法王は無数の墓標が並ぶ参道を進まれた。

真言密教の開祖弘法大師が835年に葬られた奥の院に続く階段の端に日本人僧侶が並んで法王を出迎えた。衆生の救済のため弘法大師は今なお生き続けている、と信じる百万以上の巡礼者が日本全国から一年を通じてこの奥の院を訪れる。中世の日本の記録には、白河天皇(1053−1129)が退位し仏門に入った時に、仏陀が教えを説いた遠くインドの地へ究極の巡礼の旅に出たいと申し出た。それを受けて儒学者で天皇の近臣であった大江匡房は、インドを目指すよりも安全で、勝るとも劣らない場所があると言った。「大日如来の化身はこの高野山においでになられるかもしれない」、と。日本の逸話にはインドのお釈迦様も日本の弘法大師も生きながら入定され、悟りを開かれたと伝えられている。

奥の院の灯籠堂で法王は祈りを捧げた。灯籠堂には大日如来の永遠の命を象徴するように何百もの灯明が絶えることなく灯されている。大きくなだらかな曲線を描く屋根と四方のひさしに何重にも吊るされた灯籠。そこには絶えることのない柔らかな明かりが揺らめいていた。
日本でも有数の聖地で祈りを捧げ、ダライ・ラマ法王は灯籠堂を後にした。明るい午前中の陽射しの中、秋の紅葉が輝いていた。

1日午後、ダライ・ラマ法王は高野山大学で金剛界マンダラ灌頂序会を行われる。


 (翻訳:中村高子)

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