2003年11月 ダライ・ラマ法王奈良東大寺訪問

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2004年1月15日宗報「華厳」(華厳宗教学部発行)

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東大寺境内にて

11月5日午後1時半、釈尊の教えを世界各地で説いておられ、1989年にノーベル平和賞を受賞された、ダライ・ラマ第十四世テンジン・ギャツォ猊下が東大寺を参拝された。今回の訪日は、チベット問題を考える議員連盟などの招きで来日されたもので、午前中は市内のホテルで宗教者らと非公開のフォーラムに臨まれた後、興福寺を参拝された。

東大寺が創建された1250年前とほぼ同じ頃、チベットのサムェ寺において、時のチベット王ティソンデツェンの招請で、インド中観派系仏教の論師カマラシーラと中国禅仏教の摩訶衍和尚が論争を行い、結局カマラシーラが摩訶衍を論破し、王の命を受けて『修習次第』初編・中編・後編を著すことになる。それ以降、チベットではインド仏教が急速に広がってゆくのである。

法王の訪日をどこからか聞き付けられた熱心な信奉者およそ千人の皆さんに囲まれながら、大仏殿に進まれる法王は、気軽に参拝者にも声をかけられ、自ら手を差し伸べられていた。

登壇されてすぐに、廬舎那大仏宝前で五体投地礼拝をして読経された。壇上を回りながら、天平創建時の蓮弁に額を付けて礼拝され、「釈尊の教えを実践することによって、人々の幸せが実現されますように」と記帳された。

参拝を済まされた法王は、大仏殿西側の集会所(しゅうえしょ)で休憩され、橋本管長以下東大寺の僧侶らとしばし懇談された。法王は、海外に出た時でも経典や論書を片時も離さず勉強を続けていること、仏教には心を分析する科学という一面があり、科学者との対話もさらに深めてゆかねばならないこと、釈尊が説かれたから信じるのではなく、仏教経典を学んだり研究したりする際には、自ら論理的な分析をすることが重要で、教えをうのみにするのではなく、その裏づけとなる理由を検証すべきことを強調された。

橋本管長は、現在の日本の仏教界の活動として、宗派を超えて様々な法要や国際協力の動きがあり、世界宗教サミットがイスラムとの対話を重ねていることなどを話された。

集会所を出られた法王は、大仏殿正面から修学旅行の生徒たちや多くの参拝者の方々に、「自分たちの心を充実させることができる宗教を大切にして、皆さんの心がより深く安定して幸せになり、学生たちが勉強できることを願っています」と呼びかけられた。

午後5時から、奈良県文化会館国際ホールにおいて、来寧記念講演会「日常生活の中の慈悲 Compassion in Daily Life」と題して、予定の1時間を大幅に上回り、2時間にわたって講演された。

「世界の様々な宗教は、愛、忍耐、自己批判、慈悲などを説いているが、釈尊の教えの特長は非暴力による教えとそれを実践する道を説いたもので、自らの心を良い状態に導いてゆくことができることにある。
そこで、心の中に沸き起こる感情を分析し、良い感情を増やしてゆくことが大切である。
瞑想には、分析的な瞑想と一点集中の瞑想の二種類がある。まず、自分の心の中の分析を根気強く続けることによって、考える力・新しい確信・より新しい力がうまれてくる。人は誰でも、悟りに至る可能性を秘めた仏性を持っているからである。しかし、なかなか根気強く分析的な瞑想を続けることは難しいので、時々一点集中の瞑想も行うことが大事である。
そして、これらの瞑想は、宗教を信じる信じないに関係なく、日常生活の中で思いやりやいたわりの気持ちである慈悲を育むことにつないでゆくべきである。
ひとりひとりの人間が、このように慈悲の気持ちを持ち続けることによって、国と国との間にも、思いやりやいたわりの心が生まれてくるのである。それが本来のあるべき姿である」

満席の国際ホールの中は、水を打ったように静まりかえり、法王の一言一句を聞き漏らすまいとの熱気が満ち溢れていた。法王の心の温かさと、信仰の熱意が感じられる講演であった。

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