2日目-2 大阪・講演会/「空」のエッセンス(要諦)

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2011年10月30日 記:ピコ・アイヤー(Pico Iyer)

大阪:ダライ・ラマ法王の秋の来日講演初日、日本はもちろん、韓国をはじめとするさまざまな国々から集まった数千人の聴衆を前に、『ダライ・ラマ法王 般若心経を語る—空から慈悲へ—』『人生の困難を生き抜く力』と題する講演が行われた。

曇り空の朝、ダライ・ラマ法王は巨大でモダンな舞洲アリーナに到着された。ダライ・ラマ法王は講演のはじめに、今回の特別講演が高野山大学創立125周年を記念して企画されたことについて述べられ、参加者全員でまず般若心経を唱えてはどうかとおっしゃった。般若心経の読経に続いて、かつてないほど精緻で鋭い「空」から「慈悲」へと向かう旅の解説が、仏教の教典の説明を交えながら行われた。

その解説のなかで、ダライ・ラマ法王は、「日本のような、仏教の伝統をもつ国に生まれ育ったことは、宝をもっているのと同じことです。仏教を大切にしてください。しかし、ただ信心するのではなく、分析しなければなりません。仏教はたんなる伝統でも、お経を唱えるだけのものでもありません。仮にそのように思っているとしたら、それは表面だけしか見ていないということです」と語られた。

ダライ・ラマ法王は、四つの聖なる真理(四聖諦)と感覚を越えた深いレベルの幸せについて系統立てて明確に解説された。そして、お釈迦様にただ祈るのではなく、お釈迦様が説かれた内なる幸せを追求する方法をよく勉強し、思考しなければならない、と強調された。

実に、無神教における力の源は、外側に存在する神にあるのではなく、個人の内なる心にあるのである。

ダライ・ラマ法王は、「もちろん、『空』とは何もないという意味ではありません」と強調され、『般若心経』のルーツを説明した後に、概念作用によって実体があるかのように妄想された虚構の現象について機知豊かに解説された。

「私がここに座っているのなら、ダライ・ラマはどこにあるのでしょうか。ダライ・ラマとは、私のどの部分でしょうか。あなた自身について考えてみてください。『あなた』とはどの部分でしょうか。『あなた』の源はどこにあるのでしょうか。からだにあるのでしょうか。手にあるのでしょうか。心にあるのでしょうか」

ダライ・ラマ法王の話はいよいよ勢いをつけ、加速されていく。予定されていた2時間の講演時間を40分以上も延長して、苦しみを滅する方法としての「空」の哲学的見解が解説された。

「だれかを嫌悪していると仮定しましょう。嫌悪の対象となっているその人の実体はどこにあるのでしょうか。たいていは、あなたの頭のなかにあるのです。だれかに嫌悪の気持ちを抱いたなら、『私』とはだれで、嫌悪の対象となっている『その人』はだれなのか考えてみることです。人は、実体があるかのように妄想された虚構の現象を滅してはじめて自由になれるのです」

昼食の後、午後の部が始まった。はじめに、高野山の18名の僧侶による声明が披露された。質疑応答に入ると、たちまちアリーナの中央に長蛇の列ができた。質問の多くは、仏教をただ信心するのではなく分析するよう説かれた法王の話に明らかにヒントを得たもので、輪廻転生、慈悲、無常や仏典の特定の箇所に関する質問であった。

ダライ・ラマ法王は質問に答えるなかで、「目で見えているものに執着してしまうと、心を澄みきった状態にしておくことができません。その結果、目で見えているものを現実のものとして意識に刷り込んでしまうのです」と語られた。

ある男子学生が、友情関係においても妄想された虚構の現象が起こり得るか、と質問すると、ダライ・ラマ法王はさらに話を掘り下げられた。

「私たちはさきほど昼食をいただきましたね。それは現実です。その昼食が、おなかのなかに入っていったのも現実です。しかし、自分のおなかをこうしてどれだけ見たところで、昼食をみつけることはできません。

ときとして、私たちは自分にひどいことをした人に対して強い怒りや嫌悪の気持ちを抱きます。しかし、その怒りは厳密にどこに向けられているのでしょうか。ひどいことをしたその人のからだでしょうか。心でしょうか。本当のところ、私たちが嫌悪しているその人は、そこには存在しません。いまや敵と呼ぶようになったその人はどこにいるのか、本当に真実を見極めようとするなら、敵であるその人をみつけることはできないのです。
ですから、だれかのことを敵と感じたなら、その人にも友人がいるのだということを思い出してください。友人がいるということは、私たちの知らない良い面がその人にもあるということなのです。

世俗的な倫理観において大切なのは、条件付けがないことです。この宗教に属していないから、あの宗教に属していないからという理由で、『愛』がその人をシャットアウトしているなどということはできません」続いてダライ・ラマ法王は、三種類の慈悲(生物学的な慈悲、社会的な慈悲、科学的な慈悲)について語られた。

「『空』のエッセンスとは、すべての存在がほかの存在に依存しているということです。日本は科学技術が非常に発達しています。しかし、そのような科学技術を用いても心の平和を買うことはできません。日本はたくさんのカメラを開発していますが、そのカメラで心を写すことはできません。将来的にはできるようになるかもしれませんが、今はまだできませんね」

またある男性は、7カ月前に東日本を襲った巨大地震に触れて、「無常」について質問した。ダライ・ラマ法王は、「無常」にはふたつのレベルがある点を指摘された。
「あるレベルの『無常』は、顕著に目で見ることができます。しかし『無常』とは、常にゆるやかに、毎秒ごとに、起こり続けているものなのです。つまり目に見える『無常』とは、常に起こり続けている『無常』が突然に目に見えるかたちで現れたことにすぎません。
ときとして仏教では、『空』の智慧は仏教の母に、『菩提心(慈悲)』は仏教の父になぞらえられます」

最後に、聴衆のひとりがダライ・ラマ法王に感謝の言葉をかけると、次々にほかの参加者がこれに続いた。ダライ・ラマ法王は笑顔で応え、いつか3〜4日間かけて今回のようなトピックで対話を行ないたいと述べられた。


 (翻訳:小池美和)

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