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1949年〜1979年の虐殺

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チベット亡命政権 情報・国際関係省著「チベット入門」より抜粋

中国のある情報筋によると、人民解放軍は1950年10月7日〜同月25日にかけて、東チベット各地で5,700人以上のチベット「兵」を東チベットで「根絶」し、2,000人以上を投獄したという。

殺戮・殺人、拷問、僧院への砲撃、遊牧テントの一掃といった話は、数多く記録に残されている。その種の報告は、国際法律家委員会がまとめた、チベットに関する1960年のリポートにも多数記載されている。

中国軍の機密資料によれば、人民解放軍は1952年〜1958年にかけて、アムドのカンロ[甘南]地区で996件の反乱を鎮圧し、10,000人以上のチベット人を殺害したという。またアムドのゴロク[果洛]地区では、1956年に130,000あった人口が、1963年にはおよそ60,000までに減ったという。パンチェン・ラマ10世は、この地域についてかつて次のように語ったことがある。

「青海省での残虐行為をすべて取り収めた映画があれば、観客は大きな衝撃を受けるに違いない。ゴロク地区では多くの人たちが殺され、死体は丘の上から濠にむけて転げ落とされた。解放軍兵士たちは遺族に向かって、反乱が一掃されたのだからお祝いをしろと言った。あるいはむりやり死体の上で躍らせ、最後には機関銃を掃射した。」

パンチェン・ラマ10世は、演説の中でさらにこう指摘している。

「アムドとカムにおいて、人々は筆舌に尽くしがたいほどの残酷な仕打ちを受けた。10人ずつ、あるいは20人ずつに分けて銃殺されることもあった。(中略)こうした行為は、人々の心に深い傷を残している。」

1959年3月10日にラサで発生した民族蜂起が弾圧された際には、3日間で10,000〜15,000人のチベット人が殺された。他方、人民解放軍チベット軍区政治委員会による1960年の秘密文書によれば、1959年3月〜1960年10月までの間に、中央チベットだけで87,000人のチベット人が殺されている。