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臓器移植プログラム記念式典で慈悲の智慧を語る

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(2013年11月30日 dalailama.com

インド ニューデリー:アポロ病院グループは今日、臓器移植プログラムの15周年を記念して開催した屋外でのイベントにダライ・ラマ法王猊下を迎えた。このイベントには、プログラム開始当初からこれまでに肝臓、腎臓、心臓などの臓器提供を受けた15,300人の臓器移植患者を代表する移植患者200人とその家族が出席した。アポロ病院グループの創立者であり会長でもあるプラーサ・レディ博士は設立以来30年にわたって3,700万人の患者を治療してきたことを述べ、法王のご臨席について次のように語った。

「プラナーム(目上の尊敬する相手に対する最上級の挨拶)。アポロの一家からご挨拶申し上げます。今日ここに法王猊下が私たちの目の前にお越し下さったこの喜びと興奮を、なんと言葉にしてよいかわかりません。」

法王はお笑いになり、普段の講堂などでの講演では強いライトが眩しくて観客席が暗いのに今日は観客席が太陽の下で自分のいるステージが陰になっていると語られた。

ニューデリーのアポロ病院にて、
慈悲の智慧について語られるダライ・ラマ法王。
写真:Tenzin Choejor/OHHDL

「兄弟、姉妹の皆さん、私自身も時折この病院で治療を受けており、皆さんと同様、私も昔から診て頂いている者です。主催者の皆さんには私たちが一堂に会するこの機会を作って下さったことに感謝いたします。私はいつも私自身を皆さんと何ら変わらない同じ人間だと考えています。私は今日地上に生きている70億人の人間の一人であり、心、身体、感情を持った存在であることも同じです。私はよく、我々一人ひとりがひとつの人類の家族であるという感覚をより強く持つ必要があると話しています。それは、皆が同じであるという感覚を忘れると、多くの問題が生じることになるからです。

誰でも幸せな人生を送る権利があります。仮に私が、私は皆さんとは違う、私には何かしら特別なものがあるなどと言い、私はダライ・ラマ法王であることを強調すれば、皆さんとの間には距離ができ、私自身が自らを孤立させます。私も一人の人間であり、不安感、執着心、貪欲が、疑念や不信感、怒りの原因となることを知っています。しかし私たちは皆、母親から生まれ、愛情を受けたのですから、誰でも他人に愛情を表現できる潜在的な能力を持っているのです。」

法王は、身体の健康には心の平和が重要な要素であることに触れられ、医療の役割はもちろんのことだが、科学者たちが心の健康が身体の健康に重要な役割を担っていることを裏付ける証拠を次々と発見していると話された。

 

そして法王は、我々一人ひとりが毎日を有意義にする努力をしようと提案された。時間は容赦なく過ぎていき、私たちは過去を変えることはできないが、未来を形作ることができるのだからと。

「21世紀を生きる若い世代の人たちに私はこうお伝えしたい。あなた方は21世紀をより幸せな世紀に作るチャンスがあるのです。未来は開かれていて、それは私たちが今どのように行動するのかが決めるのです。ですから私たちが今求められていることは、より幸せな、より平和な未来のための健全な基盤を築くことです。

20世紀の終わりにかけて、科学者たちは慈悲心や心の平和に対してより強い関心を寄せ始めました。それに反する感情である怒り、憎しみ、恐れは、私たちの自己中心的な態度から発生します。」

法王は、心が感じる癒しや痛みと、身体が感じる癒しや痛みの違いについて、心の癒しや痛みの方が勝っていると述べられた。自らの臓器の一部を他人に提供する人を例に挙げ、それは身体的には容易なことではなく、強い精神を要する、提供者の自発的な行為に依存するものであるが、提供者は最終的には大きな満足感を得る。一方で、貧困が原因で人々が不道徳になり、身体も心も脆弱になるので、私たちは富める人と貧しい人の格差の問題に取り組む必要がある。

慈悲の智慧について語るダライ・ラマ法王の話に
聴き入るアポロ病院のスタッフ達。
写真:Tenzin Choejor/OHHDL

法王は世界にはびこる腐敗は道徳観の欠如が引き起こした癌のようなものであると述べられた。人生には金銭以上に意味をもつものがあるということを人々は忘れてしまうようだ。基本的な道徳観が欠如していれば、宗教さえも誤用され得る。政治は不浄なものだと言われるが、不浄なのは政治ではなくそれに携わる人間である。同様に、宗教もそれに携わる人が純粋でなければ不浄なものになると述べられた。

「すべての宗教は愛と慈悲、寛容、自律を説いています。1000年続くインドの世俗主義の例に従うべきなのはそのためです。優しい心を育む教育は、倫理観を基盤にしています。宗教を受け入れるかどうかは別にして、私たちは社会的な動物ですから一人ひとりが他人に対する慈悲心や関心を育む必要があります。人間は、慈悲心を身近な家族や友人の輪を超えて拡大する知能を持っているのです。

皆さんの中には治療中の方、臓器移植患者の方、臓器提供者の方もいらっしゃるでしょう。私はただ語るだけですが、皆さんは倫理を行動に移したのです。神への最善の供物は皆さんが道徳理念に従うことだと思います。もし皆さんが堕落していれば、皆さんの朝の祈りや供物はほぼ無意味です。インドの人々は非常に宗教心がありますが、堕落が蔓延しています。なぜでしょうか。祈るよりも、愛、慈悲心、寛容、許しを実践する方がずっと効果があると思います。」

いつものように法王が観客席からの質問を募られた。最初の質問は、「私たちが生まれる目的、生きる目的は何ですか」というもので、これに対し法王は、生きる目的は幸せになることだとお答えになった。ある臓器移植患者は、自分が頂いた、金銭では買えない贈り物に対してどのように恩返しをすればよいか尋ねると、法王はこうアドバイスされた。

「臓器を提供してくださった人がその行為が有意義であったと思えるような人生をあなたが送ってください。他人を助け、傷つけないよう努力し、意味のある人生を送ってください。世界平和は天から降ってくるものではありません。あなたのような人が他人に役立つ人になりながら、あなた自身に内なる平和を築くときに、世界平和が始まるのです。」

もし仏陀が現在も生きておられたら世界はどのように違っていただろうかという質問に対し、仏陀は正しい道を開示した指導者であり、自分の人生を幸せなものにするのも不幸なものにするのも、それは私たち次第であることをお答えになり、仏陀の教えは今日でも学ぶことができると話され、自ら実践されていることを説明された。

「私は毎朝、起床後すぐに釈尊を賛美する祈りの言葉を唱え、釈尊の説かれたその慈悲と縁起の教えを思惟します。」

また、法王が大変お元気そうだがどのように健康を維持しているのか尋ね、法王は次のように答えられた。

「僧侶である私は夕食を摂りません。毎朝5時間の瞑想を行います。ただ目を閉じるだけでなく、分析を行うのです。人と会い、語り、そしてもし他に特になければ読書し、学び、思惟します。夕方にも瞑想を行います。そして午後7時ごろに就寝します。8世紀のインドの僧侶シャーンティデーヴァは、問題に直面した時にはそれを思惟しなさい、それが解決できるものなら心配無用であり、解決できないものなら心配しても仕方がないと仰いました。私はこれに従っています。」

観客席からの質問に答えられるダライ・ラマ法王。
左はアポロ病院グループ会長のプラーサ・レディ博士。
写真:Tenzin Choejor/OHHDL

執着心を捨て去る方法を尋ねられ、法王はこう答えられた。「よく考えれば物質の価値には限界がある一方、精神的な豊かさには限界がないことがわかります。今日インドでは完全に所有を放棄したサドゥー(苦行者)がいます。ジャイナ教にもそのような修行法があります。キリスト教でも質素な生活を送る修道士や修道女が多くいます。」

医療のプロに何かアドバイスがあればと求められ、法王は医師の笑顔を見ると安心感を得られると自らのご経験を語られた。好ましくないことが続くとき心の平和を維持する方法については、チベットに関する限りでは今がチベット精神を強く維持するときであると答えられた。

「そうでない場合は、常に物事により広い視野を持つこと、そして正直で誠実でいることを心がけてください。これは重要なことです。それが自信と、内なる力の源なのですから。いかなる困難にあっても熱意を失ってはいけません。あなたが透明であれば他者からの信頼を得ることに繋がり、友情を育むので、決して孤独を感じることはありません。」

最後に法王はデリーの感想を尋ねられ、次のように答えられた。

「デリーを首都とするインドは世界最大の人口を抱える民主主義の国であり、宗教的調和を顕著に実現している偉大な国です。近隣諸国と比較してもインドは大変安定しています。古代インドの真理や心の働きに関する智慧は素晴らしいと思います。そして私はインド北部出身の友人たちにこんな冗談を言います。ナーガールジュナ(龍樹、インド仏教の高僧)、その多くの弟子たち、ナーランダ寺院の多くの僧侶たちは皆、インドの南部出身だから、南部の人たちの頭脳は特別に優秀なようだと。

このようにインドは、より良い世界を作ることに大きな貢献ができる条件が揃っています。もし少し批判を申してもお許しいただけるなら、少々表面的に見受けられる儀式よりも、むしろ古代の智慧を学ぶことにもう少し力を入れた方がよいということです。そして、寺院が数多く見られますが、それよりも古代の教えの流れを学ぶ場所を増やす方が良いのではないかと思います。どうぞご検討ください。ありがとうございました。」


(翻訳:植林 秀美)