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パリ 3月10日沈黙の行進

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(チベット亡命政権パリ代表部事務所からの書簡)

チベット民族蜂起44周年を記念して、約700名のチベット人とチベット人支援者たちがパリの中国大使館近くまで、完全な沈黙を保ったまま行進を行った。行進は、パリを訪問中のギュトゥ寺院の僧侶10人に率いられ、「自由」や「チベット」の文字が書かれた垂れ幕、プラカード、黒いヘア・バンド、そして大小さまざまのチベット国旗が見られる中、当日厳粛に挙行された記念集会と合わせて、有名なトロカデロ広場にて午後3時半から6時半の間に行われた。この催しはフランス・チベット共同体(Tibetan Community in France)、チベット支援者、 チベット亡命政権パリ事務所(Bureau du Tibet)が共同して組織したもの。

記念式典は、フランス・チベット共同体の会長であるクンサン・チョペルによる3月10日についての説明から始まり、チベット亡命政権パリ代表部事務所(以下、パリ代表部事務所)代表のタシ・プンチョクがダライ・ラマ法王のチベット語で書かれた3月10日声明の一部を読み上げ、続いて同事務所事務局長のワンモ・バシがそのフランス語訳を朗読した。そして、沈黙の行進が重々しく開始された。行進は全くの沈黙のうちに行われ、その意図するところは、参加者にも見物人にも明白に感じ取られるものであった。当日警備にあたっていた多数の警官達でさえ、同様の充足感と尊敬の念を持つようになったのではないかと感じられるほどであった。

警察から許可された中国大使館に最も近い地点はブロカドール通り(rue de Broccador)であったが、その通りまで行進すると参加者たちはその場に座り、10分の間完全に沈黙を守ったまま旗や垂れ幕をゆっくりと振り続けた。そして10人のギュトゥ寺院の僧侶が指導して全員で真言を唱和し、またチベットの守護神達に祈願を行い、さらにチベット解放のために命を落としたチベット人達のために2分間の黙祷が捧げられた。

その後行列は同じように沈黙を守り、威儀を正したまま、トロカデロ広場へと戻った。「国境なき記者団(Reporters Sans Frontiers ※註1)」のアジア・太平洋地域局長のヴァンサン・ブロッセルがチベット国内で行われているさまざまな人権蹂躙について詳しく報告し、その中でも情報公開や報道の自由に対する抑圧について強調した。また著名な作家で仏教学者であり、ダライ・ラマ法王の通訳でもあるマティュー・リシャールが、チベットの現状について自らの頻繁なチベット行きをもとにしながら信頼のおける証言を行った。その後タシ・プンツォクが参加者に礼を述べ、チベット人たちがダライ・ラマ法王とチベット亡命政権の指導の下で、非暴力と平和的手段によるチベット完全自治権の獲得に努力していることについて詳細に触れ、チベット人支援者にこれからも変わらぬ援助をお願いした。この日は皆で「ミマン・ラン・ルー(チベット決起記念日の歌Mimang Lang Lu)」とチベット国歌を斉唱して解散となった。

前日の9日にはブリュッセルで全欧レベルの非常に成功した集会があり、フランスからは代表団が7台のバスに分乗して派遣されたが、翌10日のパリでの示威運動も、平日であったにもかかわらず厳粛かつ感銘を与えるものであったと言える。

3月10日にちなんで、パリ代表部事務所は、チベットが自治権を回復するまでチベット国旗を掲げつづけると決定した全仏104名の市長それぞれに、感謝の意を表する手紙と共にダライ・ラマ猊下のお言葉の仏訳とチベット国旗を贈った。既に毎年3月10日にはチベット国旗を掲げている市長には(2002年には388名いた)、パリ代表部事務所から感謝の手紙と法王の3月10日声明文が送られている。

(註1)国境なき記者団
フランスの元ラジオ記者だったメナード氏が1985年に設立。89年以来、世界各地で報道活動によって投獄されている記者に関する年次報告を発行している他、報道抑圧の現状調査も行っている。欧州委員会や仏外務省からの財政支援や民間企業からの寄付で運営されており、ベルギーやドイツ、イタリア、スペインなどに現地事務所を開設している。