ダライ・ラマ、宗教的調和の火を灯す

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2010年6月26日横浜にて(ツェリン・ツォモ)

横浜市のパシフィコ横浜の展示ホールは、宗教的平和と調和の力強いデモンストレーションである祈りの声が響き渡った。その後、インド、台湾、韓国、日本の僧侶たちが舞台に上がり、巨大な仏陀の絵画とダライ・ラマ法王の前で、般若心経を朗詠した。12,000人の観衆がそれを見守り、中には拍手喝采する者や、祈りの声明に参加する者もいた。
南インドのタシルンポ僧院から来日したチベット人僧侶も儀式に加わり、祈りを通じ、慈悲、世界の調和、相互依存のメッセージを伝えた。これらは、縁起と菩提心についての法王の法話が発したメッセージである。その後、法王は、幸せの本質と、健康的に他者と共存することについて講演を行った。

この仏教信徒の宗教的集会には、400人の韓国人、300人のモンゴル人、300人の中国人および、多くの日本人が参加していたが、ダライ・ラマ法王は、こうしたことは、仏陀の教えがアジアに広く広がっていることの証左であると述べた。法王はまた、より平和で暴力のない世界が到来することに対し、楽観的である、と述べ、なぜなら、絶対数では少ないものの、一定数の人々が、現世において、慈悲、平和、愛、親切を実践することに注力しているためである、と述べた。

こうした現世的な倫理を持てば、仏教の信徒であるなしを問わず、幸せで健康的な生活を送れるであろう。だが、多くの人は、こうした倫理を現世的というより宗教的なものであると考え、否定しようとしている。こうしたなか、ダライ・ラマ法王は、慈悲は、生物学的に、人間、動物を問わず全ての生き物に備わったものであり、全ての人が幸せで満ち足りた人生を送るために愛と親切を必要としている、と述べた。また、仏教信徒でない者にも、偉大な人間は多くいる、と加えた。

世俗主義(Secularism)とは、一部の宗教家が誤解しているように、宗教を拒絶することではなく、全ての宗教を尊重するのみならず、信仰を持たない人も尊重することである、と法王は述べた。古代インドでは、かかる世俗的態度は一般的なものだった。法王は、とあるインドの賢人との対話で、その人から紀元前600年ごろにインドで有力であった無心論者のグループであるチャルヴァカの話を聞いた、と述べた。チャルヴァカの人々は、神々の存在を否定し、宗教を懐疑的に批判したが、それでも、他の学識深い宗教家からリーシ(賢人)として尊敬されていた。

慈悲のさまざまな段階を説明するなかで、法王は、動物と異なり、人間は理性と知能を持っており、誰もが苦痛を避け、幸福を求める、ということを理解できるがゆえ、敵に対して慈悲を持つというような高次の慈悲を実践することができる、と述べ、また、私たちは、他者のことを思いやれば思いやるほど、幸せになれる、述べた。

法王は、国と国のあいだの相互依存関係が強まる世界において、「私たち」と「彼ら」を分けて考えることは時代遅れだ、と述べた。経済危機や環境破壊といった今日の世界的な問題を見れば、あらゆる人が人類という家族の一員として共に暮らしていく必要があることが分かる。「これが新しい現実なのですが、私たちのモノの感じ方は、依然として古いままです」と、法王は述べ、この現実と知覚のギャップが、今日の世界で、無益な問題や対立を生んでいる、と述べた。

すべての存在が自分以外の何かに依存しており、互いが互いに関係しており、完全に独立して起きる事象は存在しない——という考え方は、仏陀の教えの本質だ、と法王は述べた。さらに、苦しみを克服するのは祈りではない、根源的な苦しみの原因は無知であるということを知ることだ、とした。無知を理解しないままでいることは、現実を歪め、人々を永遠に続く苦しみの輪の中に投げ入れることになる、と述べた。

この共同祈祷セレモニーでは、モンゴルの伝統音楽家たちのグループが、法王のために作られた特別の楽曲を演奏した。日本の著名なジャズ音楽家で、サックス奏者である渡辺貞夫も、このイベントで演奏した。

観客のなかには、大学教授、科学者、学生、教師、在東京の外交官といった人々もいた。


(翻訳:吉田明子)

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