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東大寺管長語る・・・ダライ・ラマ14世御来寺の印象

2004年1月15日 宗報「華厳」(華厳宗教学部発行) 橋本聖圓(東大寺管長)手記より

昨年11月5日に、ダライ・ラマ14世が数人のチベット僧や「チベット問題を考える議員連盟」(代表者牧野聖修氏)の方々とともに大仏殿に参詣され、案内にあたった私たち寺側の者は、短時間ながらいろいろとお話を拝聴することができました。さりげない言葉の中にも深みの感じられたお話を、ほんの数人の記憶に留めておくのは惜しいような気がしますので、この紙面を借りて、その一部をお伝えしたいと思います。

ダライ・ラマ14世は観音菩薩の化身とされているそうで、法王と呼ばれて広く人望があり、どこから聞き伝えられたのか、当日は到着時刻のかなり前から沢山の方々が集まってこられ、中門前から本殿にかけて歓迎の人垣ができました。法王は、右左の人々に手を振ったり、握手をしたり、子供たちの頭を撫でたりと大童(おおわらわ)でしたが、すこし離れた処に車椅子に坐って母親らしい人に付き添われている少女に気付くと、すたすたと歩み寄って、頬に手を添え、「脚の具合はどうですか?眼は見えますか?」と懇ろに声をかけられるといった具合で、対話を始める前から、気配りの細やかさと温かいお人柄に強い印象を受けました。

盧舎那大仏の宝前で丁寧な礼拝をされたあと、大仏殿の集会所(しゅうえしょ)でお茶を差し上げ、一行の方々と寺側の数人とで暫く懇談の時をもつことができました。私が「超のつくお忙しい日程の中で、時間を割いてお参りいただいて有難うございます。心から歓迎いたします」と挨拶しますと、法王は、「私が忙しいのは本当です。それを一層忙しくしたのは牧野さん(来日招聘元の「チベット問題を考える議員連盟」代表・牧野聖修議員のこと)です(笑)。インドからチベットに大乗仏教が伝わったのと同じ、8世紀半ばに創建された東大寺に参詣することができて実に嬉しい。何度も戦争で焼けながら、こうして立派なお寺として存在しているのは素晴らしいことです。ここには、創建の時の精神が確実に根付いており、人々の間に息づいているのが感じられます」と言われ、「あなたは何代目ですか」とお尋ねになりました。予期しないご質問に「百・・・いや二百・・・」と言いかけると、狭川普文師が「217世です」と耳打ちしてくれたので「そう217世です。東大寺の1250年来の別当方は、日本仏教史に名を遺すような徳の高い方ばかりで、私はそれらの方々と自分を同列に数えることができないので、なるべく教えないようにしているのです」と答えました。法王は破顔一笑されて「いやいや、そうではない。きっと前世で良いことをしたのでしょう。よほど修行を積んだに違いない。大事な立場だから頑張ってください」と褒めて下さり、「(別当職は)世襲ですか」、「いえ、山内の僧侶による選挙で選ばれます」、「坊さんは何人いますか」、「隠居役の長老から小僧まで入れて30人ちょっとです。いつも実務に就いていて、選挙権も持っている者は、その半分くらいです」というような話が続きました。

幾らか意外そうな顔つきをされたような気がしましたので、「最盛期には学僧だけで千人はいたに違いないといわれていますが、歴史的に色々の事情があって、日本仏教の教団としては今日最も小規模な部類に属します。しかし、先ほど殿内で申し上げた通り、日本仏教の大勢は宗派仏教ですが、東大寺は、仏教全般に亘る教学的研鑚の道場であるとともに、観音信仰をはじめとする広汎な信仰活動の場として活動を続けてきましたので、どの宗の人にもこだわりなく参ってもらうことができるのです。殊に、宗派を超えて世界平和を祈るような法要の時には、いつも東大寺でと言ってもらえるのが、私たちの心の支えになっています」と、急いで補足しました。

法王から、東大寺の主な行事についてお尋ねがあり、修二会や聖武天皇祭、慶讃法要などについて説明しましたところ、「儀式は大切です。特に伝統的な儀式は大切にしなければなりません。しかし、儀式だけでは駄目です。努めて多くの人たちと話し合うことが必要です。お寺と一般の人たちとの結びつきを大事にしなければなりません。さらに、お寺と信者の関係を超えた対話も重要です。仏教は宗教というよりもむしろ哲学だという人もあります。確かに、信仰の面だけでなく、哲学や科学の面もある。特に、心の本質、心の働きなどを分析している点で、大乗仏教には科学的な面があるといえるでしょう。私は科学者との対話にも力を入れています。科学者と話し合うことは、仏教を深める意味でも大変有益です」と近年特に力を入れておられる活動の方に話が移りました。私は、一連の活発な活動の理念については、ある程度の認識を持っているつもりでしたので、そうした対話の記録が邦訳されたのを拝読していると伝えました。

ここで、また話題が変わって、「日本人は、生まれたときには神社に参り、教会で結婚式を挙げて、死んだらお寺で葬られると聞いていますが・・・(笑)」、「中にはそんな人もいますよ。日本人の信仰には多様性があるのと、真摯に信仰を守るというよりは、いくらか呑気なところがあるのです。しかし、圧倒的に多いのは仏教徒です」、「韓国ではキリスト教徒が多いのは、日本ではごく少ない、1パーセントくらいということですね」、「韓国に行った時に聞いた話では、天守教が47パーセントくらいということでした。キリスト教の教義や文化は、日本の社会に相当浸透していると思われるのに、信者の数となると1パーセント程度くらいです」というような応答が続き、プロテスタントの宣教師の方やヴァイツゼッカー教授との対話についても披露して、キリスト教関係者の中にも、キリスト教徒が日本人に馴染みにくい点があるのではないかという認識があるらしいこと、また、宣教師の方が無理にキリスト教徒信者の数を増やすよりも、仏教徒のために力を貸すべきだといわれた心の広さに感銘を受けたことを伝えました。

法王から、「イスラム教徒はどうですか。数はどのくらいですか?」との質問もあったので、イスラム史の専門家でもある森本公誠師から、イスラム教徒は、以前約1万人と言われていたのが、今では約10万人と言われていること、イスラム教徒が増えてきたのは、イスラム圏に旅行して、イスラム教徒やその文化に触れる機会を得る人が増えたことと、イスラム教徒と結婚して改宗する人があるからだという説明がありました。

法王は、「人は、生まれ育った土地で長く信仰されて来た宗教を信じるのが一番良い。私のところでずっと修行をしていたアメリカ人が、年をとってから、やはりキリスト教徒として死にたいと言ってきたことがあります。どの宗教も、人々が豊かな心を持ち、互いに努力して平和に暮らすことを教えている点では違いがないのだから、どの宗教を信じても良いでしょう。しかし、その土地で長く続いてきた宗教を信じるのが自然です」と、自説を強調され、世界の諸宗教の錯綜した現状を思い浮かべながら、法王のおっしゃることの意味をどう受けたら良いかと考えていると、「21世紀の日本仏教はどうなりますか」と、急に単刀直入なお尋ねがあって、吃驚しました。心の準備もないままに、「これは大変御質問ですね(笑)。どなたもご存知のように、社会が複雑化し、混迷の度を増す中で、人々は心の拠り所を失い、疎外感、孤立感に苦しむ傾向が進んでいます。仏教に救いを求める人が増えていますが、僧侶の側にそれに応える充分な力があるとはいえません。仏教界に向けられる期待が大きいだけに、批判も少なくないのです。また、仏教に対する関心の高まりは国内だけではなく、欧米も含めて、世界中で仏教に関心を持つ人、仏教に帰依する人が増えていて、驚くべきことに、カソリックの修道士や修道女で長い座禅経験を持つ人も、かなりの数にのぼっています。そのような事情から、諸外国の仏教徒との交流も盛んになっています。その一方で、仏教徒の教理を誤解、曲解して広めている団体もあり、独善的、排他的な立場をとる人たちもいます。猊下は世界中を歩いて法を説いておられるので、ずっと深い認識をお持ちでしょうが、私たちの乏しい経験からしても、近年の情勢の変化が大きいことは肌で感じられます。そうした中で、私たちは、日本の大乗仏教の立場をきちんと説得できるだけの力を持たなければなりません。とりわけ南都仏教にその役割を求められていると、私は思っています。各宗の内部では、葬儀と年忌法要など、葬送儀礼に片寄り過ぎているという反省と議論が目立っています。死に対する恐れを和らげて、死を迎えようとする人に安らぎを与えるとともに、遺された人々に慰めを与えることは大事なことですが、日本の仏教はあまりにもそれに片寄っていて、真実を求めて心を高め、行いを清めること、修行によって煩悩を克服する生き方を説く努力が充分ではなかったということが反省されています。また、僧侶でありながら戒律を守らず、世俗の生活に流れがちなことについても、これで良いのかという反省が、特に若い僧侶の間から出てきています」という説明をしました。

法王は「率直な話をして下さって有難う」と温かく受け止めてくださり、「現代社会は物質的には大変豊かになり、便利になりましたが、物だけでは人は幸せになれません。仏教には人を幸せにする力があります。私たちは、もっと自分の心に目を向けるべきです。人間本来の姿を見つめる必要がある。広い視野に立ち、慈悲の心をもって対話を進めれば、争いをなくすることができるはずです。宗教間の対話も進めていかなければなりません。人間の自然に対する暴力が、環境問題を生んでいるのです。仏教の教えを生かすことが必要です。多くの人々にそのことを説かなければなりません。私たちは皆お釈迦様の弟子ですから」と、力を込めて話されました。

そのあと、東大寺から「布薩盥(ふさつだらい)」を、律宗の儀式に使う法具である旨を説明して進呈し、法王から「釈迦如来像」を頂戴しました。狭川普文師を、「チベット仏教を専攻した人で、研究対象は、『修習次第』(チベット語でゴムペー・リムパ)です」と紹介しますと、大きく傾いて、「東大寺のために、しっかり勉強してください」と激励されました。

懇談の席を立って大仏殿の正面に戻られた法王は、見送りのために残っていた群集に向かって、ハンド・マイクで感謝の挨拶をされ、どの宗教も愛や慈悲、寛容や平和を尊ぶことでは共通していること、人は生まれて育った土地に永く伝わってきた宗教を信じるのが自然であること、仏教には人を幸せをする力があること、仏教の科学的な面を重視すべきこと、などを手短に話された後、歓送の拍手に包まれて東大寺を後にされました。

絶えず笑みを浮かべて付き随っておられた数人にチベット僧の物静かなお姿とともに、爽やかな印象の残る一行の来訪でした。

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