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チベットを知るために

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チベットへ旅行する方へ


チベット人権民主センターTibetan Centre for Human Right and Democracy作成
「チベットへの旅行者の為の状況説明書」より抜粋

【はじめに】

ここには、何を見て、どこで何を食べるか、というようなガイドは入っていません。 チベットから正確な情報を収集するのは、極めて困難なため、多少は詳細性に欠けることもあると思いますが、可能な限り、旅行者や難民達から寄せられた情報を使用しています。

これからチベットへの旅をされる方々が、チベットでどんな経験をされたのか、私達に教えて下さると同時に、その情報が世界中に伝わることが私達の願いです。

私達が「チベット」という場合、すなわち、アムド、カム、そしてウ・ツァンの3つの州を含む伝統的チベットを意味します。中国はチベット侵略後、チベットを3つの行政区分に分轄してしまいました。

アムドの大部分は青海省、さらにカムとアムドの一部が雲南省、四川省、そして甘粛省内に合併され、ウ・ツァンと西カムの一部が「チベット自治区」として宣言されました。中国当局のチベットとはチベット自治区の地域のみを指します。この状況説明書では、「チベット」という用語はチベットの人々から認識されてきた全チベットを指します。

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【何故チベットを訪ねるの?】

目的を持った休日。勿論、チベットを訪ねることよって独自の文化と風景を体験できるでしょう。それだけなく、中国の支配下にあるチベットで、人々がどのような状況下に暮らしているのかを、自ら目撃し、体験する良い機会でもあるのです。

明らかに、観光事業が中国政権に利益をもたらしていることをかんがみ、多くの人々は中国支配下のチベットを訪問することについて、不安を抱いていることは知っています。しかし、私達はたくさんの人が、中国の統治下で急速に変化しつつあるチベットを訪れることを願っているのです。

私達は、中国政府に対して圧力をかけ続けることが大切だと思います。最も有効な方法は、チベットでの「本当の状況」の目撃報告です。チベットにおける観光事業が、中国政府に利益をもたらしているのは事実です。しかし、もし、その地域に旅行者が居なければ、1998年5月にダプチ刑務所でおきたデモのような事件について、中国側の報告のみが発表され、国際社会が真実を知ることはますます困難になるでしょう。チベットの状況について、自主性のある情報を得ることは大変難しいですから、旅行前にチベットについての知識を有する人は、チベットの人々とその他にとっても大きなプラスとなります。それゆえ、あなた方のチベット訪問は大変大きな効果をもたらすことが出来るのです。

中国当局は多くの旅行者、特に公式代表派遣者達に、チベットでの彼らの行動に対して厳しい制限を押し付けていると報告されています。1989年5月EUトロイカ人権使節団の報告によれば、全てのプログラム及び項目を中国当局に親密に監視され、あらゆる公式インタビューにチベット人役員と中国人が一緒に同席したということです。さらに任務中ずっと、しっかりと監視されているように感じたと、使節団より報告がありました。

客観的情報を独占する中国にとって、自由観光事業が最も有効なチャレンジなのです。チベットへの個人の観光客(旅行家)の数が増せば増すほど、中国当局による観光客への行動制限や、現地チベット人との接触防止をより難しくさせるのです。情報に接していない観光客は、中国はチベットへの侵攻以来、チベット地域にプラス面のみをもたらして来た、と誤って信じ込んでしまうかも知れません。たとえ、団体旅行の一員であったとしても、準備を整えた好奇心の強い観光客は、チベットの現状について非常に貴重な情報を収集することが出来るでしょう。大勢の観光客がチベット人と接触することによって、中国の見かけだけのところを越えた、チベット世界における力強い洞察をもたらすことが出来るでしょう。

現在、ダライ・ラマ法王は世界中を駆け巡り、国際的支援に訴えています。そして、今も尚、増え続けている数多くの個人や仏教徒センター,政治家,様々なチベット支援団体が、チベットを援助し、人権妨害を案じ、サポートをして下さっています。しかしながら、チベットにおける国際的政策は重く閉ざされたままです。だから、貴方達のサポートとチベットへの観光客として得た情報は非常に貴重なのです。

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【チベット旅行に提案の一言】

★眼と耳を注意深く

チベットでの現況を現実的に把握出来る為、最近の亡命者や帰国される旅行者からの直接情報を私達は信頼していています。チベット訪問中、自分の身の周りを良く観察してください。そして、出来るだけ写真を撮ってください。あらゆるものの写真、たとえバルコルに居るチベット人達の状況のようなものでも貴重なのです。
また、チベット人と会談する時は慎重に!!時に彼らは大きな危険を冒して情報提供のため、外国人に接近して来るので − それらの危険性を見くびらないでください。

★慎重に

中国当局は、ガンデン寺院やラサのような観光地では、常に厳しい警備をしている。現在、ポタラ宮殿では監視カメラが設定され、主な寺院には制服と私服の警官が常駐している。僧侶の衣服での警官もいるかもしれないので、自分が政治的な問題について話す時は警戒を怠らない事。「公共安全の騒乱」を監視するため、ラサ周辺の屋根にもカメラが設置されている。上記に述べたように、もしも旅行者が人権侵害について積極的に情報を求めたり、西洋での独立運動の見解を求めたりなどは、たとえ同様の情報が自発的にせよ、チベット人にとって非常に危険のことかもしれません。

もし、チベット人が経営しているゲストハウスやホテルに泊まっていたら、彼らの普通の生活について話し合う機会を持って下さい。たったの一言「タシデレ」、という朝の挨拶だけでも現地の人達は大変喜びます。もしも、中国住民と接触出来たら、チベットで暮らしている彼らの見解について好意的に対話を交わし、彼らが地元チベット人に対してどのように思っているのかを聞いてみて下さい。

カトマンズ経由でチベットへ旅行する場合、何千人という亡命チベット人、ダライ・ラマ法王とチベット亡命政権の本拠地である北インドのダラムサラに寄ってから行くよう、計画してみて下さい。そこで亡命チベット人から、なぜ彼らが自分達の母国から逃げて来たかを知ることが出来るのです。

★出来る限りチベット人ガイドを選んでください

もしも観光ガイドを頼む場合、出来る限りチベット人ガイドを選んで下さい。現状では、旅行者が観光ガイドを選ぶことは出来ないことになっていますが、あらかじめ依頼すれば可能かもしれません。

★ 宗教的慣習に敬意を

チベット人の宗教への熱意を常に観察し、敬意を表して下さい。カイラス山のような自然的聖地を含む宗教的遺跡を訪ねるときは、帽子を取り、適切な服装を着用すること。また、このような場所ではタバコを吸ったり、空き缶などを捨てないこと。寺院や仏像、その他宗教的遺跡がある時は常に時計回りで歩くこと。儀式等の写真を撮るときは、思慮分別を持つこと。決して僧侶や尼僧侶の頭をなでたり、正座中にまたいだりしないこと。チベットでは頭は聖なるものと見なされています。

有名な宗教的遺跡や大きな僧院で設置されている寄付金箱は中国当局によって回収され、委員会によって彼らのガイドライン(計画概要)に準じて分け与えられるものです。もし、寄付したければ、個々の僧に与えたほうがより効果的かもしれません。喜ばれる寄付としては、暖かい服(濃い、濃淡色のみ)、英語及びチベット語の本、食料、毛布、又は、小型カメラ、やフィルムなどです。小さな僧院では、それぞれの僧院の高僧に寄付をすれば、適切に使用されることはほぼ間違いないでしょう。

現在は、ダライ・ラマ法王の写真に対する取締りが厳しくなっています。受け取った人が後で大変なことになりますので、ダライ・ラマ法王の写真を配るのはやめた方が良いということです。

★ チベットの商人を支援

チベット人の店から買ってください。バルコル地域では、まだたくさんのチベットの商品が売られています。他の地域はチベット人が商品を売っていますが、チベット人所有の店ではありません。もし、大量に購入する場合、それが実際には誰に利益をもたらすかを調べてください。チベット人によって経営され、所有されていた商売や仕事は、今では中国人「移住民」に奪われてしまいました。どこで商品が製造されたか、又はどこで食物が植えられたのかを聞いて下さい。

出来る限りチベット人所有のホテルに泊まって下さるようお願いします。現在ラサのチベット人経営のホテルは、ヤク、スノーランド、バナクショー、キレー、タシ・タルギェ、キチュ、カタ、ダシ、パタ、タルギェ、ノルタ・カンサン、シャンバラ、ションバラなどです。 (現在、漢族経営者に変っているホテルもあるかもしれません。)

★チベット語を使用しよう

訪問者の方々は、中国人の業者や商人、企業家らとビジネスの交流の場において、チベット語で伝達を試みることによって、チベット語の重要性を強調できると思います。これは、もしも中国人がチベットにいたければ、彼らにとってチベット語を話すことが不可欠だと解からせるためです。これによって、チベットに移住した中国人達はチベット語の大切さを徐々に認識することでしょう。なぜならば、それが彼らの生活や商売に直接的に影響を及ぼすからです。旅行者の方々はチベット語使用の促進のために、現地のチベット人と出来る限りチベット語を使用するようにして下さい。

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【見学すべきものとすべき質問】

★中国の影響

★チベット人

★宗教

★言語

★中国軍隊の存在

★ 環境

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【して良い事と良くない事】

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【帰国された後】

貴方の情報は大きな変化をもたらすことができます。帰国され次第、Eメール、FAX又は郵便で私達に情報を送ってください。厳しい残虐行為の情報を直接聞いたり、大事な事件を目撃した場合、私達に至急お知らせくださるようお願い致します。チベットでの状況を監視するために、写真も大変役に立ちます。

チベット人権民主センターの住所は下記の通りです:
Tibetan Centre for Human Rights and Democracy,
Top Floor, Narthang Building,
Gangchen Kyishong,
Dharamsala 17 62 15,
H.P. India.

Tel./Fax: + 91 / 1892 / 2 33 63 or 2 58 74
Email: dsala@tchrd.org
Website: www.tchrd.org

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【旅行者の証言集】

チベットの状況について貴方の全体的印象はどうでしたか?
陰気な雰囲気であった。笑顔が見せる人は少なかった。チベット人は中国の弾圧下に住むことを断念しているように時には見えた。
巡礼者らは質素で非常に宗教的であり、自由に対して大変な希望を抱いている。また、ダライ・ラマ法王のいない生活には疲れ切っているようだ。
(1997年9月:オーストリアのクリスティン)Christine, Austria, September, 1997
(ラサの)バルコルの夕方学校でチベットの男性と共に英語を教えた時、突然中国の警官が入って来て私の友人に、どれが密教の僧か、彼個人の時間割、なぜ彼が英語を学んでいるか、この様に学んでいる僧侶はたくさん居るのかどうか、などを質問した。それから彼らが私のところへ来て、なぜチベットへ来たかを尋ねました。それについてどういう感想を持っているか、再び来るのかと、彼は私の個人的なスケジュールを全部書きました。我々は皆非常に恐怖感を抱いた。その時初めて、あらゆる所でコントロールされている感覚を味わった。それはひどいものだった。
(1997年12月:ドイツのアネット)Anette, Germany, December, 1997
彼らは「部外者」であるが、チベットの人達は強い精神力を持っているように感じた。
(1994年:オーストラリアのメガン) (Megan,Australia, 1994)

ある古代の都市(ラサ)は現代都市によって飲み込まれてしまったというのが私の全体的な印象であった。そこには大規模な開発があったと同時に、貧困、病、政治的弾圧、環境破壊等などがあった。しかし、同時に私がかつて行ったことの無い、最も美しい場所でもあった。中国人はチベットの人格まで奪ってしまうとは思わない。チベットの人々が大変幸せそうに見えたことには驚かされた。どこへ行っても人々は笑顔を見せたり、笑ったりしていた。彼らのそんな状況にも関わらず、彼らは慈悲深く、親切であった。
(1997年8月:アメリカ 匿名)Anonymous: U.S.A., August, 1997

貴方はチベット人と出会うことが出来ましたか?人々は自由に話することを恐れますか?
チベットの人達が私が誰か知った時、自由に彼らの状況について話をしてくれた。たくさんのチベットの若者達がインドやアメリカ、そしてヨーロッパへ行きたいと言っていた。チベット人たちは、自分たちだけで安全だとわかれば、しばしば彼らの状況について話をする。
(1997年12月:ドイツのアネット)Anette, Germany, December, 1997
チベット人と出会うことは可能です。誰も私達と話をすることを恐れていないように見えた。
あるチベット人の警備員さえ、禁じられている、と彼も認めたが、我々と長話をした。
(1997年7月:オーストリアのハンナ)Hanna: Austria, July, 1997
チベットの人達は不安で、自由になる事を望んでいる。もうこれ以上絶えられない、という人もいれば、絶対に希望を捨てないで頑張る、という人も居る。
(1997年9月:オーストリアのクリスティン)Christine, Austria, September, 1997
チベット人の生活水準はどのようなものでしたか?
我々にとってチベット人の生活水準を評価するのは非常に難しい。一般的には貧しい。彼らは厳しい人生を送っているように見えた。しかし、彼らが中国人と共同で仕事する場合は、生活水準はもっと高かった。チベットに居る中国人は一番良い仕事を持っており、お金も多く獲得しているという話を聞いた。
(1997年7月:オーストリアのハンナ)Hanna: Austria, July, 1997

ラサでは大勢の若者達が居る。カンパ族の若者らは昼間にしばしば酒を飲み、何にもせずウロウロしていた。ラサの旧市街では、約20家族分の新築の家が建っていた。そこには暖房は無く、一つの共同トイレ(壊れていて、非常に汚い)で、囲い地には一つの水道口しか無かった。いかなる天候でも炊事洗濯は囲い地内で行わなければならない。共同住宅は非常に狭くて、例えば、2部屋で6人ぐらいの定員だった。
(1997年4月:ドイツ 匿名)Anonymous: Germany, April, 1997

チベット人と中国人は互いにどのような付き合い方をしていましたか?
チベット人と中国人との相互連関は見なかった。私のチベット人の友人が中国人の店で買い物をする時、中国人はあんまり親切でなかったが、誰に対してもあまり親切ではなかった。私は外見上の差別は見なかったが、経済的な状況においては確かに違いがあった。
(1997年8月:アメリカ 匿名)Anonymous: U.S.A., August, 1997
最初、人々は自信が在りそうに見たが、実際は水面下では、どこでも緊張を感じた、特にシガツェでは。
(1997年12月:ドイツのアネット)Anette, Germany, December, 1997
そこには目立つほどの中国の軍隊の存在がありましたか?
我々を圧倒させたのは軍隊の存在ではなく、一般的なチベット人の生活に、あらゆる角度から陰険な中国の影響が及んでいることだ。軍隊はいたが、驚くべき数ではなかった。少人数路上にいる以外、彼らは主に中国居住区域と開放地区は彼らの制限区域となっている。私が出会った一番ショッキングな出来事は、ある小さな村で拡声器を使って約30分間中国語で何か放送していたことだ。拡声器はチベット人の屋根裏や、村の背後にある木の上に設置してあった。その放送の内容は知らないが、誰も反応示さなかったので、それは何らかのプロパガンダではなかろうかと思った。
(1998年11月:オーストラリアのリアン)Rian, Australia, November 1998
1997年7月12日に兵隊を積んだ約63台のトラックがラサ方向へ向かっていたのを見た。その2日後、約50台の空のトラックが反対方向へ進んでいるのが見た。
(1997年7月:オーストリアのハンナ)Hanna: Austria, July, 1997
ノルブリンカの戸の上とギャンツェの丘の上に拡声器が設置してあった。ジョカン寺の屋根付近に2台のビデオカメラが設置してあった。ポタラ宮殿の各部屋内に3,4台のカメラやマイクロホンがあった。
(1997年4月:ドイツ:無名)Anonymous: Germany, April, 1997
いたる所に軍隊が居た。彼らは旅行者を追いかけて、我々がチベット人に何を話しているか見ていた。中国人の存在は緊張と不安で一杯だった。
(1997年4月:アメリカ 匿名)Anonymous: U.S.A., April 1997
  サムイェでの祭典の最中、全て映画になっていた「中国旅行人」を見た。そこには制服を着た警備員と民間の警備員がいて、彼らは武器を持ち、命令を下していた。中国の「再教育」の影響は僧院のあらゆる所で目撃でき、感じることが出来るのだと我々に語ってくれた。
(1997年7月:オーストリアのハンナ)Hanna: Austria, July, 1997)
どんなスタイルの家や建築をみましたか?
町にはたくさんの中国人の店が在った。そして、ひんぱんに中国の商業地域も見かけた。飛行場近辺の大通りや有名な交差点はたくさんの中国の(ファーストフード)レストランが並んでいる。
(1997年7月:オーストリアのハンナ) Hanna: Austria, July, 1997
ラサのチベット人居住地区やセラ僧院の南側の地域では、まだ古いチベットの家々が残っている。大部分は醜い中国的建築物、公共ビル、大きな記念像、さらにあらゆる所に中国国旗がある。
(1997年12月:ドイツのアネット) Anette, Germany, December, 1997
ラサでの紛れもないチベット人地区は中国建造物に呑み込まれてしまった。市内のチベットの建築物は実際に探し求めなければならない。
(1998年11月:オーストラリア 匿名)Anonymous: Australia, August, 1998
環境破壊を目撃しましたか?
我々が見たのは金鉱山と電子力発電所の建造であった。ヤムドク湖の水面の沈没も確認した。
(1997年7月:オーストリアのハンナ) (Hanna: Austria, July, 1997)
トゥールンの村でたくさんの爆発があったことは聞いた。それらは鉱山実施の一部であると我々のチベット人のガイドが説明していた。現地の人達は何の反応も示さなかったので、それが日常の出来事なのだと思った。
(1998年11月:オーストラリア 匿名) (Anonymous: Australia, November, 1998)
チョンドゥ(成都)からスンチュ(松潘)へ向かう道路を、1998年7月、チョンドゥ方面に運転中、木材を積んだトラック35台に出会った。その大部分は丸太を積んでいた。この全域の谷間では、殆ど森林が残ってない。谷間の高い所のあちこちで、幾つかの森林がすっかり伐採されているのを目撃した。特にスンチュの周辺で。
(1998年8月:アメリカのジョン) (John: U.S.A., August, 1998)

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