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第51回チベット民主記念日におけるカロン・ティパ(主席大臣)の声明

(2011年9月2日)

皆さん、本日、五十一回目のチベット民主主義記念日を迎えました。自由への希求を分かち合うべきこの吉日に、世界中のチベット人、とくに占領下のチベット人に心よりのご挨拶をして、私の話を始めたく思います。

まずは、偉大な指導者、ダライ・ラマ法王に心からの賛辞を贈ります。法王は、政教分離に基づいた民主的なチベット社会を目指してこられました。私も今後、この法王のお考えの実現に全力を尽くす所存です。何よりもまず、法王が果たしてこられた役割をよく理解し、これに感謝しましょう。法王は、真の民主主義者であり、人々のための指導者であられました。 法王は、ポタラ宮殿で幼少期を過ごされたときから、公正な政治と民主的原則の実現に心を砕いてこられました。つましい農家出身であられた法王は、宮殿の掃除人、門番、料理人などと親しく付き合い、こうした人々を情報源とし、普通の人々の生活を知りました。親政が始まってから2年後の1952年、法王は、貧しい農民と 都市貧困層に対する重税の免除を主眼とした改革委員会を立ち上げました。しかしながら、中国のチベット占領により、この試みは中断され、委員会は解散に追い込まれたのでした。

法王の素晴らしさに触れた私自身の個人的体験をお話しようと思います。1995年のことでした。当時、学生だった私は、米国留学を控えた他の学生とともに法王に謁見しました。私が紹介されると、法王は、英字月間誌(Tibetan Review)に私が発表した、「人権とアジア的価値」という記事のことをお話になりました。私は、法王が無名の若者の記事に眼を留められたことに驚き、名誉に感じました。多くの人が似た体験を持っていることを私は知っています。

1952年の先駆的試みに始まったチベット民主主義の物語は、1959年の中国による占領による、インド亡命の後も続きました。当時は、反植民地主義が世界を席巻し、民主主義新興国の建国が世界的に盛んな時期でした。こうした時代背景のなか、チベット亡命政権でも、ブッダガヤで議会設立の動きが始まりました。ブッダガヤでは、ナギェン・チェンモ(偉大なる宣誓)が執り行われ、新議員たちは、法王の下での鉄の結束を誓いました。1960年6月29日には、法王は、自らが考える民主主義について、ダルハウシ周辺のインド高速道路建設に従事するチベット人労務者に伝えました。それは、実に感動的な公式行事であると同時に、痛ましい経験でもありました。亡命チベット人は、自らの国や住む家、家族を失いましたが、26歳のチベット指導者もまた、難民となり、簡易テントを間に合わせの寝場所としているのでした。老いも若いも感極まって涙に暮れたものでした。

投票による選挙はまだ無理だった亡命チベット人は、互選によって議員を選び、1960年9月2日に初の議会(=チベット亡命代表者議会)を開催しました。この議会開催の日がチベット民主主義の記念日となったのです。

各地域から代表者を選出するにあたり、シッキムからマナリまで、各地のチベット人労務者は、道端に集い、挙手によって立候補を募りました。選ばれた代表者たちは、書類が詰まった錫製箱を持ち寄り、週末、ダラムサラの中央本堂にほど近い木の下に集い、議事を執り行いました。まだ西欧先進国でも女性議員が出現していなかった1963年の段階で、チベット亡命政権では初の女性議員が数人、選出され、1977年以降は、ボン教(チベット土着の宗教)の議員も選出されるようになりました。

1963年、インド憲法をお手本としたチベット憲法が採択されました。法王は、 人々の反対にも関わらず、自らの弾劾条項を憲法に盛り込むことを主張されました。1970年にはチベット青年会義(Tibetan Youth Congress)が設立され、1984年にはチベット人女性協会(TWA)が亡命地において再結成されました。両機関は派閥主義、宗教主義を否定し、チベット人の団結を唱える指導者を輩出するのに大きな役割を果たしました。

1990年代初頭にはベルリンの壁が崩壊し、ソ連邦が解体し、民主主義の「第三の波」が世界中を席巻しました。これを背景に、亡命チベット社会でも民主主義のいっそうの発展を目指した改革が行われました。 一方、こうした改革の最中に、中国では天安門広場事件が起き、政府による国民弾圧が行われていました。1991年、チベット議会は、中央チベット政権(CTA)の機能を規定する亡命チベット人憲章を起草、採択しました。これにより議会の権限は拡大し、憲法によって、議会はカシャック(内閣)を選ぶ権限を付与されました。チベットの議会制度の立法手続きや機能方法などは、インド議会制度を踏まえたものでしたが、規律が加えられ、洗練の度は深まり、有効性が高まりました。

2000年代になり、東欧諸国で民主主義革命が勃発するなか、亡命チベット社会の民主主義は進化を続けました。亡命チベット人憲章の改定により、行政府の長であるカロン・ティパ(主席大臣)を選ぶ、初の直接選挙が2001年に行われ、サムドン・リンポチェ教授が80%以上の得票により選出されました。以後、教授はカロン・ティパとして、大いなる指導力を発揮されました。

その10年後の2011年3月、「アラブの春=民主主義革命」において、旧勢力が依然として人々の改革要求を暴力で押さえつけている状況があるなか、ダライ・ラマ法王は、自らの政治的権限を、カロン・ティパと議員選挙の最終ラウンドが終了する10日前に委譲する−−との発表を行われました。政治・行政の分野での全権限、権威を「人々に選出された指導者に譲渡したい」とする強い意向を示されたのです。議会と世論は、名前だけでも良いから国家元首の地位にとどまってほしいと熱心に懇願しましたが、法王はこれを聞き入れられませんでした。

このように、法王は、世界における大きな変化と平行して、さまざまな変革を行ってこられました。振り返ってみれば、世界情勢に刺激されて、さまざまな決断をされたのではないことは明らかです。法王はむしろ、こうした世界情勢を利用することによって、亡命時に着手され、当時は必ずしも人々の賛同を得られなかった、自らの民主改革を実行していったのです。法王の改革の大きなステップは、1960年代の、憲法への弾劾条項の挿入、1980年代の、行政の長としてのカロン・ティパのポスト創設、 そして、2000年代におけるカロン・ティパの直接選挙−−となります。素晴らしい流れです。さらに、自らの引退のタイミングも、チベット史上、最大の民主選挙となった2011年のカロン・ティパ選挙で選ばれた者が(新しい政治指導者として)正当化される最高のタイミングを選ばれました。まさに絶妙な決断でした。

先の総選挙は、チベット民主主義の成熟、活性化を証明するものでした。この歴史的選挙では、30以上の国においてかつてない規模の投票が行われ、とくに若年層による活発な参加がありました。本土のチベット人もまた、選挙の成功を僧院で祈ったり、選挙の進捗状況を注意深くフォローしたり、もしくは選挙結果の発表にあわせて花火を打ち上げる−−などの行為を通じて、選挙への関心の高さと亡命社会への連帯を示しました。 カロン・ティパのポストは、3人の最終候補者のあいだで、激しく、かつ公正に戦われました。キャンペーン中、候補者のあいだで17の公開討論が行われ、各候補者は主要な亡命チベット人居住区の大半を回りました。一方、議会選挙においては、選挙によって半分の議員が入れ替わり、女性と本土からの新移民の議員数が急増しました。選挙は、その成功により、本土のチベット人に新たな希望を与えただけではなく、チベット運動の新たな盛り上がりという強いメッセージを中国政府に送ったと思います。

法王のご立派さ、そして、自身の民主的な価値観が、先のカロン・ティパ宣誓式におけるコメントによって、再度、確認されました。法王は、チベット史の重要な一片、とくに369年の歴史をもつダライ・ラマ制度の政治的正統性を、民主的に選出された指導者に継承するにあたり、こうおっしゃいました。「私が若かったとき、年長のタクダ・リンポチェ(Takdrag Rinpoche」は私にシキョン(政治的指導者の地位)を引継ぎました。今日、私は若きロブサン・センゲにそれを渡そうとしています。私は今、長いあいだ胸に温めてきたゴールに到達しようとしています」。1751年にダライ・ラマ法王7世が作った印章が、難民居住区で生まれ育った平民出身の世俗のチベット人カロン・ティパに引き継がれたことにより、チベットの政治指導者の継続的正統性と象徴が真に担保されたのです。

わが同胞の皆さん、チベットのリーダーシップと栄光ある歴史は今後も続いていきます。

今日、亡命チベット社会は、強力な民主的基盤と統治システムを持つ亡命社会のモデルとして、うまく機能しています。これを可能にしているのは、私たちの受け入れ国であるインド政府とインドの人々の温かさと寛容さです。チベット亡命社会の体験は、他の亡命・難民社会や、民主主義を学ぶ学生の関心を集めています。チベット中央政権と関連NGOは、50年の歴史のなかで民主原則に基づいた運営を行い、民主的手続きと機能を自らのものとしてきました。この経験を、多くの人に知ってもらい、研究してもらいたいと思います。もちろん、私たちの民主主義はまだまだ発展途上なのですから、今後、いっそう、しっかりしたものにしていく必要があります。

亡命下での民主的な中央チベット政権は、本土の中国の植民地主義的支配よりはるかに良いものだと思います。本土のチベット人は過酷な専制体制の下に生きていますが、亡命地にある私たちは、民主主義を謳歌しています。私は、チベット人からの負託を受けていますが、「チベット自治区」の党書記は、中国中央政府から選ばれて派遣されており、チベット人ではありません。中央チベット政権は世界の民主主義陣営の一員ですが、中国はそうではありません。カロン・ティパは正統なチベット人の代表ですが、中国によるチベット支配は非民主的で、正統性を欠いています。中国は、自由という普遍的価値を拒んだまま超大国であり続けることはできません。私は、中国政府にチベット人と中国人、双方の自由を尊重することを要求します。

終わりに、政治的権力を付与されたのは、私だけでなく、すべてのチベット人だということを強調したく思います。与えられた新しい責任を自分のものとして、自力で生き抜く力、繁栄する力が、自分たちにはあるのだということを証明するときが来たのです。一人一人のチベット人は、民主的プロセスに加わり、指導者たちが信頼に足り、真に民主的な精神を持つ人物かどうか、チェックし、規律を働かせましょう。

私はチベットの新しい世代が寄せた信頼に基づき、カロン・ティパに選出されました。若い世代は、確信をもって、共に身を粉にして頑張っていきましょう。法王の期待に応えましょう。 皮肉を言うのは止め、楽観的になりましょう。力を合わせ、本土でチベット人のアイデンティティと威厳を保つために犠牲を払い続けている、勇敢な同胞を支援し、聖なる目的を実現しようではありませんか。偉大な山、チョモランマにも喩えられる強靭なチベット精神を発揮し、ダライ・ラマ法王14世の帰還のために尽くし、ダライ・ラマ法王13世の帰還を実現させた先達の偉大なる行跡に倣いましょう。

チベット本土の同胞よ!亡命地にいる私たちは、本土の土を踏んだことがありません。しかし、チベットは私たちの心と魂にあります。決然とした思い、献身、そして仏法の助けにより、必ずや、帰還という両親の夢を実現しましょう。団結、変革、独立独歩を指針とすることで、チベット人の自由の回復と再統一、そしてダライ・ラマ法王のチベット帰還を実現できることを私は確信しています。

BOD GYALO! (チベット万歳!)

(翻訳:吉田明子)

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