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チベットの精神的リーダーを
政治道具として選出したい北京の思惑

(2009年12月17日 Tibet.Net
  1. 序文
  2. 輪廻転生に関する歴史
  3. 組織的弾圧
  4. 政治的道具
  5. 答えは至って単純である ‐ 政治的道具

序文

中国のチベット支配が開始されてから、チベット仏教に対する中国共産党の見解は極度の疑惑と恐怖となった。チベット人の世界観や人生観は仏教の基本原理と表裏一体となっており、この共通哲学の撚糸と共通文化がチベットに単一国家としての感覚を与え連合共同体として融合されている。チベット人にとっては、この基本的なアイデンティティーは仏教の原理に対する信仰と切り離せないものであり、それは文化と文明の全体を抱擁し、生活の心髄を構成しているものである。チベット人を人として、国民として定義する結び目として、宗教が一番強いことは疑問の余地もない。

一方で、このような統合的力と精神は、北京権力との存続に対する確固たる脅威となった。結果的に中国人支配者達は、チベット人の信仰とアイデンティティーを心から絶やそうとし苦しんでいるのである。

近年ではチベット仏教を支配し操作することに中国が介入してきている。2007年7月、国家宗教局は「チベット仏教の転生する生き仏の評価管理」をする第5指令を発行した。これは何世紀も続くチベットの精神的修行への究極的介入であり、世界人権宣言及び中華人民共和国の憲法により守られている宗教の自由への過度の侵害である。

輪廻転生に関する歴史

チベット人は一切衆生への普遍的愛をもたらす輪廻転生を信じている。高い境地に達した精神的導師達は輪廻転生の乗り物を用い「他の衆生を助けるという内なる願い」と共に他の人間の形をとり再びこの世に生まれてくる。輪廻転生の根源は仏教の「仏の三身」−法身、報身、応身の説に依ることができる。 応身又は転生した体はチベット語で様々な名称があり、例えばラマ(高僧)、トゥルク(転生者)、ヤンシ、キェトゥル(生まれ変わり)、ラトゥル(高僧の転生者)等あげがられる。チベットの専門用語には中国語の「活仏」に該当する語は存在しない。

チベット人は輪廻転生を精神的導師達の継承転生という特別なシステムに採用した。 だからラマ(高僧)が亡くなるとき、彼の転生は何世紀にもわたる伝統的な方法により見つけ出される。信仰のある者達へ同じように教授する新しい転生者へ、ラマの蓄積された智慧を伝授するという精神的修行が、この途絶え無き系譜の心髄なのである。 

チベット仏教での初めての転生者は12世紀に遡ることができる。カルマパ・ドゥスム・キェンパ(1110−1193)は偉大な学者かつ成就された瞑想の導師であり83歳で亡くなる前に、預言書と共にドゥスム・ キェンパの次期転生者をデォゴン・リチェンに提示した。東チベットに生まれたカルマ・パクシ(1204−1283)はポムタクパ・ソナム・ドルジェによりドゥスム・キェンパの転生者として認定された。カルマ・パクシはカギュ派の教えの全てを伝授され通常でない力と成就を兼ね備えた高名な成就者となった。

カルマパ1世の転生から、700年以上が経過し現在のカルマパ・ウギェン・ティンレー・ドルジェは17番目の転生者である。カルマパの歴代転生者の選出、認定と即位はチベット仏教カギュ派の熟練修行者達により遂行された精神的業務であった。 

パンチェン・ラマの系譜は、ソナム・チョクランが チベット仏教ゲルク派の祖師であるジェ・ツォンカパの一番弟子であるケードゥップ・ゲレク・ペルサン(1385−1483)の転生者であると認定されたことから始まった。「ソナム・チョクランはパンチェン・ラマ2世であり、ゲルク派の第一転生者である。シガツェを拠点とするパンチェン・ラマ制度は、ダライ・ラマ5世により設けられ、その際、ダライ・ラマ5世の熱心な師であり、パンチェン・ラマ師の称号を担う代表的継承者となったロブサン・チョキ・ギャルツェンにより承認された。 

ダライ・ラマ制度はゲンドゥン・ドップの転生者が熱心な探究と厳密なテストの連続の後に発見されたときに始まった。ゲンドゥン・ギャツォはガンデン・ポダン(ガデン寺)を設立したダライ・ラマ2世である。トゥマット・モンゴルのアルタン汗は三世ソナム・ギャツォにダライ・ラマという系譜を捧げた。清支配下の中国とチベットの精神的及び俗世間的指導者であるダライ・ラマ法王の関係はダライ・ラマ法王5世の1653年、北京訪問から始まった。

ダライ・ラマ5世は転生ラマとトゥルクに関する称号や階級の標準手引きを規定することで このガイドラインを各寺院の転生ラマとトゥルクの伝統的階級や位置づけの基盤とし、標準基準を設置した。これはトゥルクの認定を効果的に管理し、優先待遇での選出を回避することとなった。チベットの宗教的事項には中国の皇帝は一切関知していないのである。

パンチェン師とダライ・ラマ法王の特別な絆は他の転生者認定への決定的役割を遂行する師弟関係にある。二人の年長者は他の教育、精神的潅頂の伝授、口伝や様々な精神的遺産の伝達に対する決定的役割を担っている。選出の過程においての中国の介入は存在しなかったし、介入しようとした時もチベット人は阻止してきた。

中国が大々的にプロパガンダの一つはラマやトゥルクの選出が黄金の壺でくじを引く制度をとっていると主張していることである。1792年「グルカ戦争の後、乾隆帝はダライ・ラマ法王やパンチェン・ラマ師などの高僧の転生者をくじ引きで決定する新しい制度を導入することを試みた。しかし、約10年後の1805年にはダライ・ラマ9世の転生者の候補者が2人いたとしても、黄金のつぼ制度は無視され、選出はチベット役員により執行された。更に、満州軍大佐のフカンはダライ・ラマ8世に対しこれは単なる提案であり、チベット人は「自分自身で何に賛成するか反対するかを決定すべきである」と述べた。

ダライ・ラマ9世が10歳と言う若さでこの世を去ったとき、中国の高官は黄金のつぼを使い転生者を選出するよう強要した。再度、摂政、チベットの政府の役人と三大寺院(セラ・デプン・ガンデン)の代表がリタンの少年をダライ・ラマ10世に認定した。ダライ・ラマ10世も27歳と言う若さでこの世を去り、その転生者はパンチェン・ラマ7世により発見、認定され、ケードゥップ・ギャツォをという名を与えられた。ケードゥップはダライ・ラマ11世である。

チベット人の精神的修行が外的勢力に命令や強要されることなく独立して遂行されてきたことは歴史的に明確である。この点はパンチェン・チョキ・ニーマ9世により明確にされている。「もしチベット人の国民的偏見をどのような形でも尊重しない助言をすれば、中国皇帝自身のチベット人に対する影響力が衰えるだろう。」

1995年、黄金のつぼのくじ引き制度を用い巧みに作り上げられた演技により、北京は9歳のギャルツェン・ノルブを「彼らの」パンチェン・ラマ10世として選択した。 選抜されてすぐ、少年は「黄金の官服と黄色のシルクハットで部屋に先導された。ノルブは僧や西洋のスーツを不似合に着ている男により敬礼され、中国の年長役人であるルオ・ガン(Luo Gan)が式典を監察するために派遣された。ルオは後に前方にお辞儀し少年を握手しこう述べたという、「国を愛し勉学に励みなさい」

組織的弾圧

1951年、恐喝によりチベット人は17条約を締結した。この条約の中では中国人民の政治諮問会議の共通プログラムに従った宗教の自由に対する政策が保護され、中央政権は諸寺院の収入の変化をもたされないとされたが、三年後の1954年、ダライ・ラマ法王との会見中、毛沢東は法王に近づきこう呟いた。「…でももちろん宗教は毒である。これには二つの偉大な欠点がある。一つは人種を後退させ、二つ目に国家の発展を停滞させる。チベットとモンゴルは両者とも宗教により毒された。」これは後に起こる「条約」の規定違反と、チベットでの偶発的な宗教と宗教組織の侵害の前兆であることを否定できない。 

初めから中国のリーダー達はチベット支配にあたり宗教が最大の障害であると気づいていた。そのため北京はいくつもの組織的政策、指令、組織的活動を始めることでチベット人が本来持つ宗教への影響や宗教を衰えさせようと試みた。

1950〜60年のいわゆる民主改革で土地と他の資産は寺院から差し押さえられた。宗教への攻撃が更に狂暴になった。僧侶は暴行され侮辱され、ある者は死に追いやられた。中国の命令である宗教の修業を断つことを拒否した一般人は殴られ持ち物も差し押さえられた。1959年には中国の占領軍が多くの僧と一般人を殺害し、数多くの宗教組織が消え去り国際法律家委員会は「中国人はチベットの宗教的信仰を根絶やしにすることを組織的に目指している。」とコメントし、「彼らの宗教的信仰と習慣は他者への励みと手本であったため、この設計図を追求することにより中国人は宗教的象徴をも殺したのだ。」と促した。

1959年には全部で6259以上の寺院に592,558人の僧と尼僧が住んでいた。更にこれらの宗教センターには何十、何千の仏像や宗教的芸術品が安置されていた。毛沢東の入り組んだ文化革命が1976年に終わったとき、中国政府はチベットにある6000以上の寺院の破壊の責任がある。これらの寺院の内装ー宗教的イメージや仏像などーは破壊や略奪され、古代の付加価値である何百万ものお経が焼かれてしまった。チベット人としての生き方全てが破砕されてしまった。

しかし宗教の破壊は文化革命で終わったわけではなかった。更に陰湿で繊細になったのだ。宗教に対する様々な規約は中国の最高組織である中央委員会、政治局や国務院により公認され監督された。政党はチベットの規約と指令を実行するための綿密にコントロールされた組織の最後部に座した。

この途絶え無き命令の連鎖でチベット全土の寺院全てが規約を実行できるよう中国は民主党管理委員会(DMC)を組織した。これは最低限の作動部隊である。「委員会は宗教関連を指揮する関係政治部門から指導と支持を受け、国家規約を実行するにあたるどの問題も報告するよう保持した…」それを通して政府は寺院に対し最大限の経済及び政治的支配を提供した。そしてその重要な役割の一つは反革命アイデンティティーのPSBを知らしめることである。

地方DMCも政治的教育と調査を実行することが最重要課題である「任務組織」で談合し機能している。「任務組織」とは随時、何か月にもわたり寺院や尼僧院に潜入し「調査、会議、偵察の実行と逮捕者を指定する。」だから寺院長の伝統的役割が決定され全体的な宗教秩序が政治的競争で僧や尼僧の忠誠を政党に向けるようにしたのである。

1982年に公認された中華人民共和国憲法の36条には「中華人民共和国の国民は宗教信仰の自由を享受する。いかなる国家機関、社会団体又は個人も、公民に宗教の信仰又は不信仰を強制してはならず、宗教を信仰する公民と宗教を信仰しない公民とを差別してはならない。」しかし同年には公文書19が発行された。これは「宗教の自由に容認できる範囲について中央政府が発行した最も権威的で総合的な陳述である。」そして「宗教の根絶に向けた道への必要な一歩である宗教の寛容を宣言した。」

北京政府が宗教機関に重く介入し「マルクス主義的な仏教の見解や社会主義的中国の需要に合うように仏教を再構成すること」を紹介することを通した「中国犯罪撲滅運動」や「愛国心再教育」のキャンペーンを相次いで始めた。

中国の組織的警察がチベット宗教を撲滅することは死刑や宗教施設の破壊、政治的洗脳、僧や尼僧の除名、投獄、宗教儀式の禁止、寺院の僧侶の数を制限、政党への忠誠の強化をもたらした。しかし中国の圧力がどんなに強く、捕まったときの報復がどんなに残酷でも「チベット人は頑固に宗教と文化を放棄することを拒んだ。日々彼らは反抗する方法を見つけ、心に禁じられたダライ・ラマ法王の肖像を隠し、禁じられた香を焚き、禁じられた祈りを囁くのであった。」

迫害はチベット人を中国人から更に遠ざけるだけである。亀裂は更に大きくなり、合法的に宗教事項に干渉する必要があったチベット人の義務、尊敬と認証を北京は拒否した。

政治的道具

「社会主義団体に従わない宗教的教義と習慣は変更されるべきである。」北京は1994年、チベットでの第三労働国民集会でチベットの宗教規約への最高公用指針を設立する「新時代を導く金の橋」を宣言した。これが常にチベット宗教に対する中国の規約の中心的焦点となった。僧や尼僧が「中国共産党を愛し、愛国心を育て、社会主義を愛し、人民を愛する」ことに焦点を置くのだ。

一番最近のそしておそらく一番馬鹿げた宗教に対する規約は国家宗教政局が発行した第五指令と呼ばれるものである。この方針は全てのトゥルク(転生者)やラマ(高僧)の認定は北京により公認されることを必要とし、チベット人の基礎的権利への明らかで、直接、あからさまな介入である。

中国はマルクス‐レーニン主義の毛沢東思想に忠実に確固として信じている社会主義国家である。このような社会主義と言う張り紙の三重奏では宗教は社会的毒である。「宗教は弾圧された生き物の溜息であり、心無い世界の心、魂無き状況の魂。それは人民の毒である。」とマルクスは記した。「宗教は精神的弾圧…精神的酒(のようなものである)」とレーニンは追記した。毛沢東は熱烈に直截的であった。「宗教は毒だ」と彼は述べた。もし宗教が忌まわしき毒の行為ということが本当なら、何故北京はチベット仏教に熱心に介入しようとするのか?

答えは至って単純である ‐ 政治的道具

1980年初頭の概要規約緩和の間、チベット人は結果的にチベットの自由を叫ぶデモやダライ・ラマ法王の返還を招いたチベット人としての国民的アイデンティティーの蘇生をもたらすため、占領下のチベットの多くの寺院を自発的に再建した。「チベット人の文化、宗教、国家主義の再来は中国人にとって驚きだった、30年の弾圧とプロパガンダでチベット人の分離主義は消え去ったと想像していたのだ」完全な制圧のみでは望んだ結果がでないと気づき、北京は宗教を「チベット人の国民意識を変容しダライ・ラマへの忠誠を中国への忠誠と中華国民意識へと変容する」だけではなく、チベット人の精神的世界をコントロールする立場へ置くようにする法的寸量のような道具に使うことを選択した。 

「宗教は国の関心事であってはならず、宗教社会は政治権威と結ばれてはいけない。」とレーニンは記した。しかしこの社会主義設立の父の智慧の言葉は中国同志の心のベルを全く鳴らさなかったのだ。

彼らにとっては政党の権威に挑戦する制圧と権力を保護するためには人々の権威を踏みにじっても良いのだ。これは1993年に中国の首相江沢民が宗教は「社会主義に導入するために導くべき」と述べたことからも明らかである。このような目的を達成するため中国は全てのレベルにおいて宗教への重厚な規制を設置したのである。

結果は「チベットの宗教に関することは何でも、建物復興や戒律、寺院の人数、祭事、巡礼なども国民委員会と宗教局により承認されなければいけない。

北京はダライ・ラマ法王を含むチベット人僧侶の法話を求める中国人の数が急増していることから仏教に対し脅威を抱いている。千を超える中国人が東チベットのカリスマ的チベット宗教導師ケンポ・ジグメ・プンツォク師の弟子としてラルン・ガルに入った。2001年には中国当局が全ての宗教共同体を消去し千を超える僧、尼僧、弟子を追放した。このような脅威は仏教と共産主義を参照し「二つの太陽が並び立つことはない」と宣言した前十年の中国支配者に未だ根付いている。彼らはこう主張する。「一つの太陽しか存在することができない、それは共産主義党である。」

第5指令と呼ばれる恥無き明らかな政治手腕はチベット人の精神的領土に伸びている。この「指令」はインドのダラムサラを拠点とする「チベット仏教全宗派の法王、僧、尼僧、真言保持者、代表宗派の在家信者、中央チベット管理局の宗教文化局」による関与を断固として否定する。陳述は「これらのトゥルクを管理する基準は欺きの嘘に他ならない」と記し、このような虚偽は「チベット人や世界の人々を騙すこと」はできないとしている。

決議はダラムサラで2008年5月3日に全てのチベット仏教宗派とボン教の法王により手渡された。何世にもわたる伝統に従い、決議は「各寺院組織に連続的に生まれ変わっているよく知られたラマやトゥルク」は各宗派の法王による承認は必要ない。しかし「新しいラマ(高僧)やトゥルクの輪廻転生の承認は4つのチベット仏教の宗派とボン教の法王からの認証なしではならない。」全てのチベット仏教四大宗派の法王が中国から亡命しインドに住んでいることを記しておかなければならない。一番最近亡命したのはカルマパ17世、カギュ派高僧であり、亡命した一つの理由は占領下のチベットでは有能な宗教的導師が存在しないからである。これも北京がチベットで仏教が栄えていると主張していることに反している。

北京の「指令」と何世紀にもわたるチベットの伝統的にトゥルクを認定する方法との両極性は宗教の自由を拒否する疑問だけに留まらず、更に重要なのは合法性への疑問である。

占領から中国は信仰という理由のみで何千何百のチベット人を亡命させ、殺し、投獄し制圧してきた。中国は何千の寺院を破壊し傷つけ消し去り、何万の宗教道具を焼き、溶かし、売りさばいた。これらを基盤とし「宗教が毒」という設立の父の証言により中国は道徳的権威でもチベット人の精神的習慣に関心を持ち介入する合法性もないのである。

パンチェン・ラマ10世が1989年にこの世を去ったのち、チャデル・リンポチェは彼の転生を探す探索隊を組織した。何世紀も続く方法や預言や透視により彼らは適した少年を見つけた。伝統により、ダライ・ラマ法王が最終認定を行った。そして1995年5月14日、ダライ・ラマ法王は6歳のゲンドゥン・チョキ・ニーマを11世パンチェン・ラマとして認定した。

これが北京を怒らせ、3日後チョキ・ニーマと彼の家族は消え去った。国際的制圧に反し、中国は彼の居所を認証することを拒否した。1995年12月中国当局はギャルツェン・ノルブを「彼らの」パンチェンとして就任させた。

それ以来、北京は彼らの選択したギャルツェン・ノルブを合法的パンチェン・ラマとして宣伝する機会を逃さなかった。2006年4月、杭州の世界仏教フォーラム(1949年以来中国で開かれた初めての宗教会議)においても、彼は主要な話し手だった。

しかし、チベット人の目には中国はまだ侵略者である。合法性の欠如は中国人がパンチェンを選出したチベット人の見方からも明らかである‐彼を「パンチェン・ズンマ」や「偽パンチェン」と呼んでいる。 北京は彼の訪問の際、「彼らのパンチェン」を歓迎するよう人々に賄賂したり強要したりし、寺院や町に兵を送ることを強要した。「パンチェン・ズンマが訪問した時 チベット人は加持を受けるよう指示を受けた。学校では中国役人がカタやバッジを配布し全員にパンチェン・ズンマを公式に迎えるよう説いた。 もしこれに反する者がいれば、罰を受けた。」

法王の名前は「第5指令」で触れられてはいないが、チベット人指導者の参照は「偉大な影響力を持つ転生者は特に政府議会の認証に報告されなければならない」を述べている指令で明らかである。このばかげた「指令」の中心は現在の法王が亡くなったとき「彼らの」ダライ・ラマを認定し、選択することに干渉する北京の真の意図である。しかし、「輪廻転生の目的は前任者の終わらない仕事を続け完了し、一切衆生を助けることである」この効果で法王は強調して「もし私が亡命で死んだとき…転生者は自由な国に生まれる。 彼は中国の元には生まれない。」と述べた。であるから、北京のどんな挑戦も「虚偽のアイドル」に終わるだけでなく、チベット人の心に更なる拒否反応を作り出すのである。

北京の関心はチベット人の精神的事項ではなく、宗教的習慣を操作し中国の政治的需要に合わせるためである。チベット人のラマ(高僧)やトゥルクが持つのは「道徳的権威と非公式の共同体の指導者や開始者としての役割である。地元民は彼らに宗教的、生活的アドバイスや助けを求める」これは政党の権威への合法的脅威であり、北京はどうしても欲しくはない。だから政党は無謀にラマやトゥルクの生まれ変わりの選択をコントロールすることを決意しているのだ。

現代のチベット人学者ゲシェ・ラクドル氏は簡潔にまとめている。
「無神論政党が転生者を認定するというのは笑い話しである。これは宗教的事項であり、精神的事情に熟知した者が扱うべきである。共産党が今、行っていることは政治的道具に用いて、自分たちの意思を強要することだ。これは本当に間違っている。」

(翻訳:マイ)

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