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「ダライ・ラマはチベットの代表ではない」という
中国当局に対する中央チベット政権(CTA)の反応

(2009年10月30日 中央チベット政権)

中国当局による「ダライ・ラマはチベットの代表ではない」という主張は、単にこのチベット人ノーベル平和賞受賞者の人気を潰えさせようとする試みであるように思われる。法王を精神世界、実質生活の両方における自身のリーダーとみなしている内外のチベット人のみならず、情報に通じた多くの中国人識者たちが、両国のチベット問題における関心を保ち続け、平和的解決策を模索し続けている法王を賞賛している。そしてなにより重要なことは、法王自身がチベット人の信頼と信仰により、チベット人の代弁者であると考えていることだ。

歴史が事実を証明している。1949年の中国によるチベット侵略の際、ダライ・ラマ法王はチベット人による国民集会において、全ての政治権力を引き受けるように求められた。そして1954年に北京で行われた_小平・周恩来・毛沢東との平和会談において、チベット代表として参加したのは法王であった。今更中国当局がダライ・ラマ法王を代表ではないと主張するのは、両国間の過去の歴史的事実においてでさえも、矛盾している。チベット人にとっては、ダライ・ラマ法王がどこにいても、その場所が自動的にダライ・ラマ法王指導下のチベット政府の所在地になるということだ。

民主主義を手に入れるために世界のほとんどの国は、血を流し犠牲を払ってきた。その例にたがわず、チベット人代表としてのダライ・ラマ法王も同様の犠牲の上に成り立っている。ただチベットの場合は、民衆から絶対的支持のあるダライ・ラマ法王が、何度も自身の法的な権力を放棄しようとしたにもかかわらず、彼らチベット人自身が異議の余地のない指導者として法王に継続を乞い続けている。

国外亡命により、1963年初頭ダライ・ラマ法王はチベット国憲法を発表した。それは亡命先より、チベットの民主化のために何度も刷新されてきた。そして1992年、ダライ・ラマ法王は未来のチベット国家のガイドライン「将来におけるチベットの政治形態の指針と憲法の基本要点」を発表した。その中でダライ・ラマ法王は、自身を含むチベット人が、完全な自由の身での帰国が可能となれば、その時はすべての政治的権限を放棄すると明言した。また、現行のチベット自治区のみならず、ウ・ツァン、アムドとカムの3地区の伝統的地域からなるチベットが、連盟の自治区になることを望んだ。

現在行政は、ダライ・ラマ法王の正式な承認のもと、亡命先である北インド・ダラムサラにて、投票によって民主的に選ばれた主席大臣(KalonTripa)率いるチベット内閣(Tibetan Kashag)によって行われている。それは、多くの政府、自由な国の人や内閣、そして、自由を賞賛する中国人からも敬服されている。

ダライ・ラマ法王がチベットの代表であるというもうひとつの例は、2008年3月にチベット全域で行われた平和的なデモにおいて、民衆の掲げるスローガンに「ダライ・ラマ法王に平安を」と「ダライ・ラマ法王の帰還を求める」が含まれていたことでも分かる。国内に留まっているチベット人は、当局による逮捕や投獄にもかかわらず、これらのスローガンを掲げ続けた。

ますます多くの中国人、特に識者が、当局のプロパガンダに屈することを拒否しはじめている。例として、2008年、チベットにおいてデモが行われた当初、中国内の識者集団が、北京の指導者に強く訴え出た。彼らは指導者たちに、ダライ・ラマ法王との対話を行い、チベット問題を解決するよう迫った。そして、2008年3月14日にラサで起きた騒乱が、「ダライ・ラマ一派によって組織され、入念な計画のもとに実行された」という当局の主張に対し、確かな根拠を示すようにと迫った。中国の識者は、「政府が証拠を提示することを求める。国際社会の中国に対する否定的で信頼できないという態度を変えるためにも、国連人権委員会を招き、原因の独立調査、事件の経過、犠牲者の数の調査などしてもらうべきだ。」と主張している。しかしながら現在に至るまで、中国当局は、占領されたチベットにおけるいかなる国際的な調査をも受け入れていない。

ダライ・ラマ協会

ダライ・ラマ法王一世、ギャルワ・ゲドゥン・ドゥプに遡ると、ダライ・ラマ法王の組織は約600年の歴史がある。モンゴルの首長のアルタン・ハーン(atlan khan)から称号を与えられたソナム・ギャツォ(Sonam Gyatso)、ダライ・ラマ法王三世から始めるなら、組織は450年以上になる。1642年にチベット全域にその宗教的、政治的権威を広め、偉大なる五世とも呼ばれるダライ・ラマ法王五世、ナワン・ロプサン・ギャツォ(Ngawang Lobsang Gyatso)から始めるなら、ダライ・ラマ法王組織は2009年現在でちょうど367年になる。このように、組織の変遷を数百年も遡り辿ることのできるものは、世界中に殆どない。ダライ・ラマ法王の組織は、明(Ming)、満州(Manchu)、 共和体制の中国の中を生き残ってきた。そして今、組織はまさに共産主義の中国と長寿を競うマラソンのような勝負をしているところである。

中国と中国共産党(CCP)

この累々たる歴史と比べて中国共産党は1920年代初頭に設立された。壊滅的な国内の争い、その只中に起こった飢饉、混乱や第二次世界大戦の後、中国共産党は1949年に中華人民共和国の設立という勝利を手に入れた。2009年10月1日に、中国共産党は党創立60周年を記念して、大々的な祝賀行事を行った。もちろんこれは共産党の業績を批判するものではない。共産党の業績は、先立って行われてきた長期に及ぶ軍事政権によって顕著なものとなっている。この軍事政権の下、北京もしくは南京は、中国全域を支配しているように装い、そしてまた中国全域も、これらふたつの首都に支配されているかのごとく装った。しかし実際は軍部が権力を掌握しており、1949年の国の統一は、この60年の間に、共産党によって浪費させられた。イデオロギーは良き統治よりも優先され、政治運動が経済と個々の人権よりも優先され、そして崇拝が集団の決定よりも優先された。大国は崩壊寸前であった。

その時、トウ小平が現れた。彼は経済発展をなによりも優先させた。それによって、現在の世界最速の経済発展への変革が始まった。それは法律の空白の間に行われた。法律や監査団体等の不在のままに行われた中国の奇跡的な経済成長には、何の制御もない。この奇跡的発展は、苦役を重ねる一般大衆の幸福を犠牲にして遂げられている。労働者苦労は、党と政府の談合によって搾取され、その関係者は、賄賂をもたらす強欲なビジネスマンのみを保護している。

人民は確実に富んできている。しかしながら、この富の源は現在の中国の社会体制の不正に基づいているのだ。ある評論家たちはこの状態を、「略奪国家」と呼んでいる。このような中国当局による正当性の減少に対するため、チベットのダライ・ラマ法王14世は自身の組織を世界規模のものへと変換させた。ダライ・ラマ協会は、すなわち、チベット協会である。ダライ・ラマ法王三世は、チベット仏教をモンゴル全域に普及した。ダライ・ラマ法王四世はモンゴル人として生まれた。以上の事実により、ダライ・ラマ協会は実質上、中央アジアの協会へとなった。偉大なるダライ・ラマ五世は、中国仏教のルーツとなるヒマラヤの一部も協会とした。ダライ・ラマ法王14世はそれを、世界的なものへ成長させた。

なによりもまず、ダライ・ラマ法王は人民を解放した。彼らに民主主義と選択の自由を与えた。これはまさに、亡命先にありながらも衰えることのない、チベット人たちの生命力を説明している。

帝国の傲慢 〜ローマ帝国の世界征服〜

「カエサルのものはカエサルに。神のものは神に。」自身の民から「ローマ帝国にまで税金を支払わねばならないか」と聞かれたときに、キリストはこう答えた。このような政治問題に対する中道的な解決の模索の結果、キリストは磔刑に処され、従者は帝国を通して迫害された。多くのものは獅子の巣窟へと投げ込まれた。帝国の安定を揺るがす考えは徹底的に抑圧された。しかし最終的に、権勢をふるっていたかつてのローマ帝国の力は衰え、キリスト教は世界に広がっていった。キリスト教の最高位である教皇が、そのローマのバチカンに設置された。そして十二戒からなる、善意と寛容の布教を始めた。最終的に、キリストの教えは帝国を支配した。

辛抱と社会への関連性を鑑みても、どんな帝国も宗教と人間の心に対抗することはできない。満州の支配者であったk'ang-siがこれを理解していた。当時のダライ・ラマ法王七世についてこう述べている。「ダライ・ラマはまさに太陽の光のようである。どんな何人たりとも、その光を覆うことは出来ない。仏光はダライ・ラマを通じて全ての人に降り注ぐであろう。」ダライ・ラマ法王の説く仏教の教えと、指導者としての法王の模範は、地球上の何百万という人々の心を動かし感動させてきた。

現在、法王の善意と寛容の教えは翻訳を通して、中国国内にも広がりつつある。一般の中国人が法王の教えを受けるためにインドまでやってくる。2009年8月6日から8日にかけてスイス・ジュネーブで行われたチベット-中国会議においては、「ダライ・ラマ法王の故郷への帰還という当然の権利は、必ず尊重されなければならない。」という共通認識に達した。そして「ダライ・ラマ法王にとって好ましい状況をつくることは、中国人の精神的価値観の再生に貢献するであろう。」という文書も中央チベット政権に提言された。

この信仰の力は、2006年、顕著にされた。その年、ダライ・ラマ法王は南インドのアマラヴァティ(amravati)においてカーラチャクラ(kalachakra)の教えを説いた際、チベット国内から8000人のチベット人と、本土から250人の中国人を含む世界中から、チベット教徒と仏教徒が集まった。 ダライ・ラマ法王はチベット人たちに、動物の毛皮を用いた服を着ぬように促し、それを国内の民衆にも伝えるように言った。この要求から一週間内に、チベット国内のあらゆる地域で毛皮を処分する大焚火が作られた。まさにこれが、チベット人のダライ・ラマ法王に対する忠誠を示している。法王自身が法的にはチベットの代弁者ではないとしても、それならば中国当局はこの問題を解決するために、誰が国家の指導者であるか決定する国民投票を、チベット内で行えばよいのだ。

(翻訳:村上綾香)

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