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『デレクフィケーション』
2カ月間リレーハンガーストライキがダラムサラからスタート

11月24日、デリーで行われたチベット青年会議によるキャンドル行進では、「ジョージ・フェルナンデス前インド国防長官が在インド中国大使館からトゥルク・テンジン・デレクの死刑執行は無いとの保証を受け取った」との情報が広まったが、翌日11月25日、ダラムサラで「トゥルク・テンジン・デレク即時解放」を旗印にしたチベット青年会議発案の「全インド・リレーハンガーストライキ」が発動した。

「トゥルク・テンジン・デレク即時解放」運動は、ムンバイ、カルカッタ、バンガロール、デリーに続いて5番目の拠点ダラムサラにて、ハーバープール、チャウンタラ、ダルハウジー、クルマナイ各地方部から来たチベット青年会議メンバー30人による48時間座り込みハンガーストライキで始まる。これは「2ヵ月間リレーハンガーストライキ」の一環で、学生、僧侶、尼僧、一般人など様々な職種の人々が、来年の1月25日まで、トゥルク・テンジン・デレクの無条件・早期解放を目指して参加する。チベット青年会議が他の選択肢を割愛してダラムサラでこのような活動を展開するのは、チベット問題に対して建設的にそして積極的態度で取り組むようダラムサラ住民に促すだけでなく、ダライ・ラマ法王のこの居住地で亡命生活を送るチベット人たちがチベット問題全体、特にチベット母国民の大志を忘れてはいないのだというメッセージをチベットに送るためでもある。

「2ヵ月間リレーハンガーストライキ」の開会式は、議員であり前チベット青年会議副議長のカルマ・イェシ、「インド・チベット友好協会」のラケシュ・シャルマ、そして有名な元チベット政治囚パルデン・ギャツォ師らの顔ぶれに彩られた。 チベット青年会議議長のケルサン・プンツォクは開会式で、亡命者が活動を組織することの有効性と機動力に対して強固な信念を持っていると表し、死刑無効になった場合に関する憶測は避け、トゥルク・テンジン・デレクの無条件・早期解放まで長期戦を覚悟するよう訴えた。パルデン・ギャツォ師は、ダラムサラの亡命者たちによる活動の有効性について、さらに自身と侍従に言い渡されていた死刑判決が執行予定日のわずか数日前に差し戻しへと導いた1983年のチベット青年会議の大規模なデモを例に挙げて語った。

こうして「2ヵ月間リレーハンガーストライキ」第1日目は、柔らかい音色のチベット仏教の声明(しょうみょう)やダライ・ラマ法王の(以前の)スピーチが流れる中、決行された。ハンガーストライキ参加者らがジャーナリスト、写真家、見物人らに囲まれて忙しいその傍らで、多くの人々がアナン国連事務総長宛ての青年会議作成の嘆願書に署名し、トゥルク・テンジン・デレク解放に向けた無数の葉書を送付するのに協力してくれた。特筆すべきことは、チベット青年会議が設置したブースでサインする日本、スペイン、オーストラリア、ロシア等からの外国人がトゥルク・テンジン・デレクについて知っていたという共通点である。それぞれ強い母国語訛りで「トゥルク」と発音したり、我々の任務の成功を心から祈ったりする彼らと我々との間に(気持ちが通じ合って)他にどんな説明も必要無かった。これこそが『デレクフィケーション』(編集註:トゥルク・テンジン・デレクのデレクDelekに「化する」の接尾語ficationを付けた造語。「デレク化する、デレクのために活動する」という意味だろう)、そして『ユニフィケーション』(結束)だ。


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