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チャデル・リンポチェ 軟禁が発覚

チャデル・リンポチェ

チャデル・リンポチェ

チベット人権民主センター(以下、TCHRD)が入手した情報によると、チベットのタシルンポ僧院長であった服役中のチャデル・リンポチェは刑期満了で昨年1月に釈放されたと思われていたが、軟禁となっている模様である。
2003年4月22日付けのTCHRDの信頼できる筋によると、チャデル・リンポチェはラサのディブ(Dib)軍施設の南にある人里離れた場所で軟禁状態にあるらしい。

それより遡ること2年、2001年2月の人権についての話し合いの席で中国政府はイギリス政府に、チャデル・リンポチェが1996年に刑を言い渡され、2002年1月に釈放されるはずだということを伝えた。しかし、釈放されたはずのチャデル・リンポチェの所在についての新しい情報が今まで全くなかった。

そして2002年2月、「チベット自治区」の治安当局局次長とシガツェ警察副総監が、パンチェン・ラマの僧院として名高いタシルンポ僧院にやって来た。2人は、理由を求められてもなんら答えることなく、チャデル・リンポチェ個人の仏典と数珠を求めたのだった。

チャデル・リンポチェは、タシルンポ僧院の僧院長であった。1989年にパンチェン・ラマが謎の死を遂げると、中国政府はチャデル・リンポチェをパンチェン・ラマの転生者捜索隊の長に任命した。30名にのぼるパンチェン・ラマ転生者候補リストをもとに、ダライ・ラマは転生者を見分けるためのご託宣などを仰ぎ、1995年5月14日、ゲンドゥン・チューキ・ニマ少年を転生者に認定した。しかしその発表の2日後、当時6歳になるゲンドゥン・チョーキ・ニマ少年は行方不明となり、未だ消息はわからない。行方不明となったのは転生者の少年だけではない。チャデル・リンポチェも認定3日後の1995年5月17日、行方不明となったのである。これに対して、当時の中国外務省スポークスマンは、「チャデル・リンポチェは当局の保護下にあるのではなく、病気療養のため入院中である」と述べた。こうした一連の出来事が起きている間に中国政府は、1995年12月、別の少年をパンチェン・ラマの転生者に認定した。

国営新華社通信が公表してチャデル・リンポチェの拘留が明らかになったのは、それから2年後の1997年5月になってからである。1997年4月21日、シガツェの中級人民法廷は、チャデル・リンポチェに6年の禁固刑を言い渡した。「分離活動に加担した」罪と「国家機密を漏洩した」罪で6年の禁固刑を言い渡され、2000年1月9日迄に釈放となるという全く違う内容の情報も飛び交った。しかし2000年当時、非公式情報によると、チャデル・リンポチェはトチュ(Trochu County)で拘留となっており、その後四川省のタチュ(Tazhu County)にあるチュアンドン第三刑務所(Chuandong No.3 Prison)に移送となったという。

チャデル・リンポチェの刑期や所在についてのこうした不可解な状況と内容の矛盾した報告は、(チャデル・リンポチェの一件が中国政府にとって)政治的に大変過敏な問題であることを示唆している。

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