文化映画紹介 渡部 実
「モゥモ チェンガ」自由工房作品
キネマ旬報2004年4月下旬号より
この映画の題名になる「モゥモ チェンガ」とは、モゥモ(お婆さん)、チェンガ(満月)という二つの言葉をつないだもので、「満月という名のお婆さん」という意味になる。題名から察するにこれはドラマかと言えば、厳密にはそうではない。これはチベット人の一人のお婆さんの日常生活を記録した作品である。
1949年に隣国の中国では、中国共産党による革命で革命政府が誕生する。新しい中国は「チベットは中国の一部」を政策として、チベット人の意思とは関係なくチベットを自国の統制下に治めようとした。当然、中国の強権に対してチベット人から抵抗運動が起こり、チベット東部で両者の衝突が生まれた。その軋轢の結果、1959年にチベットの首都ラサで民衆が蜂起、身の危険を感じた時のダライ・ラマ14世と多くのチベット人がヒマラヤを越えてインド、ネパールへと亡命した。インドはチベット難民にダラムサラという土地を提供し、ダライ・ラマ14世はそこを亡命政府の所在地と定めた。以来、中国とチベット難民の間には何らの関係はなく、40年以上の歳月が流れていく。
現在もヒマラヤを越えて逃亡をするチベット人は後を絶たず、この間、中国の侵攻によって生じたチベット人の死者は120万人に達すると言う。同じく自由工房製作による「チベット2002 〜ダラムサラより〜」は、その事実を背景として、亡命しているダライ・ラマ14世に直接インタビューを敢行した作品である。
今回の「モゥモ チェンガ」について岩佐寿弥監督は「5年ほど前、私は偶然ネパールに住む一人のチベット難民と知り合った。やがてその家族や友人たちとも親しくなった。難民とは言っても、彼らには祖国を離れて40年以上の歴史がある。当初、私の眼には、彼らはネパールに暮らすごく普通の生活者に見えたのである」(プレスより)と語っている。前説が長くなったが、ここに「モゥモ チェンガ」というユニークな作品が誕生する。
素朴な暮らしにみる信仰と信念
「モゥモ チェンガ」は岩佐監督の言葉通り、「ごく普通の生活者」であるお婆さん(モゥモ チェンガ)のネパール山村での生活を記録している。映画は白いヒマラヤ山脈の遠景から始まり、次第にキャメラは山村を映し出す。難民であった当初、彼らは異邦人の目で見られ、竹で出来た家に住んでいたという。
やがて彼らの生活の場所が、チベットから逃れてきた難民たちのキャンプとなった。だが、ネパールにやってきた時代から既に40年以上が経過している。難民にも夫婦、家族が生まれ、それらの系譜は3代にまで至るようになった。現在、ここには約1200人の住民がいる。
年月の流れは、「気がついたら、私もお婆さんになってしまった」と、お婆さんがご本人に語らせる。しかし、既にこの山村キャンプには学校もあり、子供たちは驚くことに学校でチベット語、ネパール語、英語の三ヶ国語を小さい頃から習得している。村には病院もある。このことはやはりこのような境遇に置かれた人たちの社会を生きる術というか、知恵なのだろう。
「モゥモ チェンガ」は、もうどこから見ても立派なお婆さんである。異国に移住を余儀なくされたとはいえ、既に彼女は一家の長としての経験も十分に積み、地域社会で貫禄を持つに至った。そのお婆さんの日常生活から語られるネパールの山村の生活なのである。とはいえ、映画はお婆さんの日常生活から遠く離れるような撮り方はしていない。彼女の日課は朝と夕方のお寺参り。また、同じキャンプのお年寄りとの会話を楽しんだり、ごく普通の生活である。一家揃ってとる食事の場面には穏やかな雰囲気の中にも確かな家族の絆が感じられる。
またこの映画には、日本人にも珍しい光景と思われるネパールにおける宗教行事の模様が収められている。亡命したチベット人がネパールの宗教的環境で暮らしている。ここでは文化と宗教が平和裏に交じり合っている。
毎日、お婆さんはお寺を回り、体を動かして宗教の行事に勤しむ。「何よりも大事なものは信仰です」と彼女は言う。私などはこのお婆さんの日々の生活に日本人とあまり変わらない表情や習慣を見てしまうのであるが、どうもそうではないようだ。大事なものは信仰と言う彼女の言動を根底で支えているのは、40年を経ても彼女が故国を忘れずにいるチベットの宗教、文化なのである。
お婆さんは一年で一番楽しく賑わうのはチベット暦の正月であると言う。映画は最後にお婆さんが親戚の若い夫婦からダライ・ラマ14世に拝謁する旅に誘われる。思ってもみない僥倖である。高齢者の旅は周囲の人たちもいささか心配であったが、お婆さんは無事インドのダラムサラにまで行き、ダライ・ラマ14世に拝謁し、14世からねぎらいの言葉をかけてもらう。インドに住む兄や姪などの親族にも会えた。
そのようにこの映画は、一人のチベット難民の姿をまるで一篇のドラマのように見せる。本編のお婆さんの生活の姿を魅力的な印象にしているものは、女優の吉行和子さんの親しみのある艶やかなナレーションである。
「モゥモ チェンガ」は、チベットと中国の深刻な国際関係を紛争などの局面から見せるのではなく、現在はネパールに住む一人の亡命者である高齢のお婆さんの日常生活の営みをクローズアップすることで、本人の奥底にあるチベット人の民族自決という重いテーマを描き出した作品である。
【問合せ先=自由工房 電話03(3463)7543】
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