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人権と普遍的責任
−国連世界人権会議(NGOフォーラム)における演説−

(1993/06/15)

私たちの世界は、人口の増加、そして人々や政府の交流が増すにつれて次第に狭くなり、相互依存の度合いを深めています。この点から、個人,国民,国家の権利や責任について相互に、また地球全体という見地から考え直すことは大切です。この世界会議に諸団体や各国政府が集まり、世界中の人々の権利と自由について語り合うことは、私たちの世界が相互依存的だという認識の高まりを反映するものです。

私たちは、どこの国、どの大陸からやって来たにかかわらず、基本的に同じ人間なのです。私たちは人間としての共通の欲求や関心を抱いています。民族,宗教,性別,政治的な立場のいかんにかかわらず、私たちは幸福を求め、苦しみを取り除こうとします。人間はもとより生きとし生ける物全ては、幸福を追求し、平和と自由のうちに生きる権利を有しています。自由な人間として私たちは、自分自身と周囲の世界を理解しようとするために、人間独特の知能を利用することができます。

しかし、もし創造的な潜在能力の発揮が妨げられてしまえば、人間の基本的な特質の一つを奪われたことになります。最も有能で献身的で創造的な人たちが、人権侵害の犠牲者となってしまうのは、私たちの社会の中でよくあることです。こうして人権の侵害は、政治的,社会的,文化的,経済的な発展の芽を摘み取ってゆくのです。だから人権と自由を援護することは、個人個人にとっても社会全体の発展にとっても、極めて重要になってくるのです。

人々が他人を苦しめるようなことをする根本的な理由は、幸福を得られる本当の原因を理解していないからだと、私は考えています。他人を傷付けることで、自らの幸せが得られるとか、他人の痛みはそっちのけで自分の幸福ばかり大切だなどと、考えている人たちもいるでしょう。

しかしこれは、明らかに近視眼的な考え方です。他者を傷付けることによって、本当に利益を得られる人など誰もいないのです。他者の犠牲のうえに得られる当座の利益は、決して永続することがありません。他者に苦痛を与え、平和や幸福を奪うようなことは、長い目でみるならば、不安,恐れ,疑念となって自分自身に戻って来るのです。

平和でより良い世界を構築する鍵は、他者に対する愛と慈悲を育むことです。それならは必然的に、私たちは自分よりも幸福に恵まれていない人々に対しても、兄弟姉妹の如き関心を抱くようにしてゆかなければなりません。この点で、非政府組織(NGO)の団体の果たすべき役割が鍵となります。あらゆる人間の権利を尊重する必要性への認識を喚起することはもちろん、人権侵害の犠牲者たちに、より良い未来への希望を与えるという役割も果たしているのです。

1973年に初めてヨーロッパを旅したとき、世界の相互依存度が高まっている点と、普遍的責任感を育む必要性について私は語ったものです。ある国の活動の結果が国境を遠く越えて及ぶから、私たちは全地球的な文脈で物事を考える必要があるのです。世界人権宣言や国際人権規約の中に規定されているような普遍的に拘束力のある人権の基準を受け入れることは、世界の小さくなった今日では欠くことができません。基本的人権の尊重が、達成すべき理想としていつまでも残ってしまうようでは困るけれど、いかなる人間社会に於いても必要不可欠な拠り所であることに変わりはないのです。

権利や自由は私たちにとって大切なものですが、それを求める時には、自らの責任をも認識すべきです。平和と幸福を求める権利を、私たちと同じように他者も有していると認めるならば、支援を必要としている人々を助ける責任が私たちに生じてくるのではないでしょうか。

基本的人権を尊重することは、欧米の人々にとって重要であるのと同様、アジアやアフリカの人々にとっても重要なのです。文化的,歴史的背景の相違にかかわらず、どんな人でも脅迫され、投獄され、拷問を受ければ苦痛を覚えるのです。人権問題は見解が相違する余地のあり得ないほど、基本的に重要なものなのです。だからこそ、世界中で人権を尊重する必要性についてはもとより、人権ということの定義に関しても、世界的な総意を得ることが重要であり、私たちはこの点を強調しておかなければなりません。

最近幾つかのアジア諸国の政府が、世界人権宣言に規定されている人権の基準は、西洋で提唱されたものであり、アジアその他の第三世界には適用し得ないと主張し、その理由として、文化の違いや社会的,経済的発展の違いをあげています。

しかし私は、この考え方に同意しません。そして、アジアの人々の大多数も、この考え方を支持しないだろうと確信しています。なぜなら、自由,平等,尊厳を希求することは、全人類の本来的な性質であり、それを達成することに於いても、全ての人々が平等だからです。経済発展と人権尊重という両者の必要性の間に、何ら矛盾は見いだせません。文化や宗教面での豊かな多様性は、あらゆる共同社会に於いて、基本的人権の土台を強化するのに役立つはずです。なぜなら、この根本的な多様性こそ、私たち全てを同じ人間家族の一員として結び付ける基本原則となるものだからです。多様性や伝統の違いは、決して人権侵害を正当化する理由にはなり得ません。だから、異なった民族の出身であるとか、女性であるとか、社会的に弱い階層に属するといったことによる差別が、ある地域に於いては伝統的に行われているかもしれませんが、それらの差別が普遍的に認知された人権と相容れないものであるならば、そういった差別行動は改められなければなりません。全人類が平等であるという普遍的な原則が優先されなければならないのです。

人権の普遍性を否定するのは、主に独裁主義や全体主義の体制です。こうした人権否定の立場を容認することは、絶対に誤りだと思います。逆にこうした体制の政権を、その下に置かれいる人々の、より広範で長期的な利益という見地から、普遍的に認められた原則を尊重させ、それに従わしめるようにしてゆかなければなりません。この数年間に起きた劇的な変化こそ、人権の勝利の必然性を明確に示すものです。

人間相互間の、そして私たちの共有する地球に対する責任といったことについて、人々の認識が高まっています。この事実こそ、私を勇気付けてくれるものです。狂信的な排他主義,民族,宗教,イデオロギー,歴史的背景などに起因し、大変多くの苦しみが生み出されている現状を顧みれば尚更のことです。虐げられた人々にも、新たな希望が生まれてきました。世界中の人々が、同じ人間同士として、他の人々の権利や自由を援護する意思を明らかにし始めたのです。

残虐な暴力はそれがいかに強力であろうとも、人間の自由や尊厳への基本的な希望を決して押さえ込むことが出来ません。共産主義体制がやってきたように、衣食住を国民に与えるだけでは、事足りないのです。人間性のより深い部分が、何物にも替えがたい自由の空気を渇望しているのです。

しかし幾つかの国の政府は、未だに自国民の基本的人権を国内問題として捉えています。彼らは、いかなる国の国民の運命も、人間家族全体の関心事となることの正当性を認めようとしません。また「国家主権の主張のもとに自国民を虐待することは許容されない」という点を受け入れようとしません。私たちの兄弟姉妹たる他国の人々が残虐な取り扱いを受けたとき、それに抗議することは、地球の人間家族の一員たる私たちの権利です。のみならず虐げられた人々を助けるため、できる限りのことをするのが、私たちの義務でもあります。

国家や国民を分け隔てる人工的な障壁が、最近になって崩れ始めました。ベルリンの壁の崩壊により、何十年にも亘って全世界を二極分化してきた東西対立は終止符が打たれました。私たちは、希望と期待に溢れた時代を迎えつつあるのです。

しかし今でも、人間家族の心には大きな溝が残っています。それは南北の対立だということができましょう。平等という原則と真剣に取り組んでゆくならば、今日の経済格差はもはや看過し得ない段階に達しています。あらゆる人々が人間としての尊厳を平等に享受する必要性を、単に表明するだけでは事足りません。これは実地の行動に移されなければなりません。世界中の諸資源をもっと平等に分配し得る方法を見つけることは、私たちの責任なのです。

人権と政治的自由の向上を目指した民衆の運動が、世界中で非常に高まっている状況を、私たちは目の当たりにしています。この運動は必ずや、精神的な力を増幅してゆき、最も反動的な政府や軍隊といえども、これを弾圧することが不可能なほどになるでしょう。

この会議は目標へ向けた決意を、私たちの全てが再確認するための一つの機会です。国家,国民,そして個々人が自らの権利を自由を尊重するよう求め、抑圧,民族差別,経済搾取,軍事占領,及び様々な形態の植民地主義と外国支配を終わらせるために闘うのは、自然かつ正当なことです。各国の政府は、そのような闘いを続けている人々に対し、口先だけではなく、実のある行動をもって支援を送るべきなのです。

20世紀も末に近づくにつれ、世界は単一の共同体への道を歩みつつあることが明らかになってきました。人口の過剰,天然資源の枯渇といった重大な問題は、皆に降りかかってきているし、中でも環境の危機は、私たちがこの地球上に生存する基盤そのものを脅かすものです。人権,環境保護,そして社会経済上の広範なる平等は相互に関連しています。時代の要請に対処するため、人類は普遍的責任感を、より強くしてゆかねばならなくなるでしょう。自分自身や家族,或いは祖国のためだけに努力するのではなく、全人類の利益のために行動することを、私たちは各自学ばなければなりません。普遍的責任こそ、人類生存の鍵となるものです。それは世界平和の基礎として、最もふさわしいものです。

こうした協調を追及することが、人類を強くする唯一の道です。世界の新しい秩序の基盤を確固たるものとするには、単に政治経済面での同盟関係を広げるだけでなく、個々人が真に愛と慈悲を実践することこそ肝要である−と、私たちに気づかせてくれるからです。人間が幸福を得る究極的な根源は、愛を慈悲にほかなりません。私たちがこれらの徳目を追求するのは、自らの存在の深奥に根ざしたものなのです。慈悲の実践を、単なる理想と捉えてはいけません。自他の最大利益を分け隔てなく追求する、最も効果的な方法なのです。私たちが相互依存度を深めれば深めるほど、他者の幸福を保証することが、自らの利益と合致するようになってきます。

物質的発展を重視し過ぎることは、私たちが自らの世界の相互依存性を正しく認識するのを妨げる一つの基本的な要員になっていると思います。私たちは、物質的発展の追及に熱中するあまり、慈悲,思いやり,協力といったことの本質を、無意識のうちに軽視するようになってしまいました。知らない相手や、関係ないと思われる個人や集団の場合、私たちは彼らの求めるところを看過しがちです。しかし相互の助け合いは、人間社会の発展に必要不可欠なものです。

社会の中でめいめいに個人差があって構わない−というのは、私の個人的な強い信念です。あらゆる個人が、私たちの地球家族を正しい方向へ導くべく、もっと貢献をなす責任を有しており、各自でその責任を負わなければなりません。仏教の一僧侶として、私は自らの慈悲心を育むことに努めておりますが、それは単なる宗教的実践としてでなく、一個の人間レベルに於いてもまた、然りなのです。かかる利他の態度へ向けて自己を鼓舞するために、時々次のようにイメージしてみるのが効果的だと思います。

まず、自分がたった一人の個人として一方に立っています。他方には自分以外の全人類が、数え切れぬほど多勢集まっています。いま自分は、この無限の他者の集まりと、対面して立っているのです。そこで、こう自問してみます。「彼我いずれの利益が、より重要なのか」と。

私にとって答えは自明です。いかに自分自身を大切だと感じても、私は一人の個人にすぎません。それに対し、他者は数と重要性に於いて限りの無いものですから…。

ありがとうございました。

1993年6月15日
オーストリア・ウィーンにて
ダライ・ラマ

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