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ダライ・ラマ法王インタビュー:
NDTV(ニューデリー・テレビジョン)『ユア・コール』

(2013年1月7日 NDTV.com

ダライ・ラマ法王はNDTV(ニューデリー・テレビジョン)の『ユア・コール』に出演。インフォシス・テクノロジー社のナーラヤナ・ムルティ氏をはじめ、さまざまな人々からの質問に答えながらインタビューに応じられました。以下は、そのスクリプトです。


NDTV:
── 私たちインド人は昔から新年を祝ってきました。しかし、ある若い女性に対する残酷極まりない集団暴行殺人事件が起きたことで、今年は国中が悲しみと怒りに打ち震えています。このような事態のなか、『ユア・コール』では特別なゲストをお迎えしました。身近で起きた残酷な出来事を理解しようとしている今、心に平穏をもたらしてくださるに違いありません——ダライ・ラマ法王です。猊下、インドは今、ある若い女性の身に起きた事件をめぐり、悲しみと怒りでいっぱいです。このような状況に対してメッセージをいただけますでしょう。

ダライ・ラマ法王:

なによりもまず、じつに悲しい、本当に悲しい事件だと思います。今やインドは大国です。インドには長い歴史もあります。インドのアヒンサー、つまり非暴力という文化は少なくとも二、三千年の歴史のある、きわめて文明化した文化遺産です。現代になってからもインドには自由を求めて非暴力で戦った時代がありました。インドのリーダーたちは数千年にわたって非暴力の道を踏襲してきたのです。また、相互理解に基づく異宗教間の調和も引き継がれてきました。

今、インドの全体像を見て思うのは、現代教育に伴う物質的発展がなされたら非常に有益だろうということです。しかし同時に、とりわけ人のことについてはもっと真剣に目を向けていく必要があります。教育を含めての現代化、数千年来の伝統的価値観、こういったものは道徳の基本ですが、それが欠けているのです。無視されているといってもいいでしょう。

この53年間、私はインドで暮らしてきました。都市化が進み、大きなビルが建ち並び、たくさんの車がひしめきあい、私が住むダラムサラでさえ今ではさまざまな設備が整っています。50年かけて大きく変化したわけですが、同時に、今回の事件やたくさんの汚職事件に見られるような不法行為があちこちで起きています。数千年来の伝統をいかに守っていくか、今、インドのみなさんはもっと真剣に考えねばなりません。とくに人間的価値について考えることは、きわめて重要だと思います。

NDTV:
── インド社会として、どのように道徳的指針を取り戻していけばよいのでしょうか?今回の事件に抗議している若者たちから猊下に質問がありますので聞いてみましょう。


質問1:
凄惨きわまる性的暴行の末にこの女の子が亡くなったという状況から、報復に値する厳罰を求める声が高まっています。私は死刑に反対です。猊下も仏教徒として死刑に反対だと思うのですが、どうすれば死刑を求める人たちを説き伏せることができるでしょうか?


NDTV:
── どこもかしこも怒りばかりです。人々は死刑を望んでいます。どうすればこの怒りを建設的なものに変えていけるのでしょうか?

ダライ・ラマ法王:

現に、私の記憶では数十年前だったと思いますが、いくつかの国際的な組織が死刑を禁止する運動を始めました。私もそれに署名しています。それが私の基本的立場であるからです。しかし、国が違えば事情も法律も異なります。ですから、自分の国の法律に従って対処していく必要があると思います。

NDTV:
── 仏教は暴力を禁じていますし、猊下は死刑反対に署名され、死刑に反対しておられます。インドの法律問題は別として、多くの人たちが「死刑は犯罪の抑止力になる」とか「死刑を実行すれば女性に対する犯罪がなくなる」とか「究極の刑罰として有効である」と論じています。中東やアラブ諸国の犯罪率が低いのが良い例だと彼らは言います。なぜ猊下は死刑に反対なのでしょうか?

ダライ・ラマ法王:

第一に、命は尊いものだからです。つまりアヒンサーとは尊い命を敬うことです。命を傷つけてはならないのです。これはアヒンサーの概念です。命を縮めたなら、それは良いことではありませんし、ある種の暴力でもあります。妊娠中絶のようなケースは本質的に暴力ですからすべきでありません。死刑も執行すべきでないのです。いつだったか、ティハール刑務所だったと思いますが、更生プログラムに瞑想の導入を試みた女性警官がいましたね。

NDTV:
── キラン・ベディ(Kiran Bedi)氏ですね?

ダライ・ラマ法王:

そうです。彼女が取ったような方法が適切なのです。死刑といえば身体的に罰することを指しますが、それでは助けとなりません。世界中いたるところで行なわれている暴力的な方法を考えてみてください。目指すべきは真摯な動機づけです。暴力は問題をさらに複雑にしてしまいます。ゆえになすべきことは教育であり、こうした犯罪者を教育していくことなのです。彼らが徐々に自分自身の過ちに気づけるようにしてやるのです。きわめてマイナス要素が強い場合であっても、教育を受け、気づきを深めていけば、やがてきわめて善良な市民になることができます。教育が適切な方法である、というのが私の見解です。

質問2:
このような残酷な事件がひっきりなしに続き、止めたくても手立てがありません。そんななかで、猊下はどのようにして人間の善良性を信じ続けておられるのでしょうか?

ダライ・ラマ法王:

70億人の人間がいるのです。仮にこの70億人全員がこのような事件を起こしたのなら、私も信念を失うでしょう。人間の95パーセントは愛情や他者のウェルビイングを気にかけるなど人間らしい性質を持っているのではないでしょうか、私は持っていると思っています。ですから気づかせてやるだけでいいのです。他者の命を尊び、他者を助けることは、自分の人生を充実させるうえでもいちばんよい方法です。婦女暴行をはじめ、他者を傷つけたり、他者をいじめたりすれば、壊れるのは自分の未来なのです。ですからすべては気づかせてやること、教育にかかっています。

NDTV:
── インドで起きている問題に焦点を当てているところではありますが、チベット人の若者から猊下に質問がありますので聞いてみましょう。


質問3:
チベットは独立国家でしたが、今は独立国家ではありません。近い将来にチベットが独立国家となる日が来る可能性はあるのでしょうか?


NDTV:
── チベット人の若者の多くが独立を望んでいるようですが——。

ダライ・ラマ法王:

そうです。歴史的にチベットは独立国家です。これは疑いの余地のないことですが、将来については検証していく必要があります。EU(欧州連合)の精神を例に考えてみてください。個々の利よりも共同の利を大切にしています。なぜなら個々の利は、共同の利ときわめて強く結びついているからです。

かつてインドのヴィノバ(Vinoba)氏が、ABC共同体という構想を提案しました。ABCのAはアフガニスタン、Bはミャンマー(ビルマ)、Cはスリランカ(セイロン)、そしてここにインドとパキスタンが入ります。彼は、これらの国々が何らかの共同機構を持つべきであると提案しました。長い目で見た、現実的なアプローチだと思います。この構想が実現されていたなら、アフガニスタンはもっと安定していたでしょうし、バングラデッシュやパキスタンもまた然りです。ですから、確かに私たち〔チベットと中国〕は別々の国家ですが、かならずしもそれだけに固執する必要はないと思います。試しに、私たちに新しいタイプの、真の共同体をつくらせてみてほしいのです。もしこれがうまくいかなかったら、そのときは別の方法を使います。今のところ、中道のアプローチ(中道政策)はおもに知識層を中心に中国の人々から大きな支持を得ています。2008年危機以後、1000件を超える記事が中国人の手で、中国語で書かれたと把握しています。これらの記事はすべて中道政策を支持し、自国の政策を酷評するものです。

いずれにしても、中国の人々、とりわけ中国の知識層からの支持は必要不可欠です。若い人たちの多くが感情に任せて「おお、独立したい」と言いますが、着実に独立に至る方法を提示したことは一度もありません。それで中国の人々からどれほどの支持を得ることができるでしょうか?インド政府からどれほどの支持を得られるでしょうか?欧州連合からどれほどの支持を得られるでしょうか?米国からどれほどの支持を得られるでしょうか?現実に即して考えなければなりません。言うのは簡単でも、独立するのは簡単なことではないのです。

NDTV:
── 猊下は、中国の新リーダーである習近平共産党総書記については楽観的にお考えなのでしょうか?

ダライ・ラマ法王:

これについて語るにはまだ早すぎます。しかし自国の利益を考えるなら、中国はもっと現実的なアプローチを取らねばなりません。武力行使は時代遅れです。さらなる暴力、さらなる抑圧、さらなる憤怒が不可避の結果として生まれてしまうからです。ゆえに私は、新政権は先ほど述べたような知識層の人々の助けを得て、遅かれ早かれ事実から真実を見いだしていく現実的なアプローチを取ることになるものと確信しています。チベット問題やモンゴル問題をはじめとするいわゆる少数民族問題も、より現実的なアプローチを取り、平等な条件に基づいていくことになると思います。かつては今よりも平等性が強調されていました。漢民族至上主義に反対する主張も、この何十年かで消え去ってしまいました。

NDTV:
── 猊下はいわゆる引退をされたわけですが、それでも全チベット人にとって猊下のお言葉は神の言葉のようなものですし、後継者問題に関する質問もたくさんありました。しかも中国は、後継者選びは中国政府が行ないたいと言明しています。猊下は、輪廻転生の過程で何が起こるか見ていきましょう、と述べておられます。猊下が生きておられるうちに誰かを指名なさるという話も耳にします。これはかつてないことかと思いますが、猊下はどのように考えておられるのでしょうか。

ダライ・ラマ法王:

これについては二、三年前にチベット仏教の他の宗派のトップと話し合い、きわめて明確にしています。彼らと会合を重ね、ダライ・ラマ制度や転生者制度の今後について話し合いました。そのときに、二年前だったと記憶していますが、彼らトップとの完全合意のもとで声明を発表しました。その声明のなかで、「もっとも重要なことは私が90歳くらいになってから話し合い、最終決定を行なう」と伝えています。アメリカでのことですが、私の転生者選びについてメディアの質問を受けましたので、私は眼鏡をはずし、彼の顔を見つめて、「私の転生者選びを急いだほうが良いと思うかね?」と言ったのです。「まったく急ぐ必要はありません」と彼は言いました。(笑)

NDTV:
── ええ、急ぐ必要などありません。猊下が述べておられるように誰にもわかりません。女性かもしれませんしね。

ダライ・ラマ法王:

事実、1969年のはじめでしたが、私は公式声明のなかで、「ダライ・ラマ制度そのものを継続するかどうかについてはチベット人の意思に任せる」と伝えました。それが原則です。 10年、15年経って、ダライ・ラマ制度はもはや適切でないと大部分のチベット人が思うのであれば、ダライ・ラマ制度は自然と止まるでしょう。ダライ・ラマ制度の継続を大部分の人が望む場合は、いかにして転生者を継承していくかが問題となります。つまり伝統的な方法を踏襲するかどうかです。これは高僧ラマについても言えることです。彼らもまた転生者であり化身であるからです。チベットの歴史を振り返るなら——今日でさえ、一部の転生ラマは実際に前世によって存命中に任命されています。その場合は神秘的な方法を用いて調査を行ない、継承者となるにふさわしい子供をみつけて任命します。これもまたあり得ることです。

NDTV:
── 中国はこの問題についてもコントロールしようとするのでは——。

ダライ・ラマ法王:

それはおもに政治的な理由からであって、今や私は政治から引退しています。ダライ・ラマ14世が政治から引退したことは多くの人が知っています。ですからダライ・ラマ15世は政治の世界ではさほど影響力を持たないでしょう。となれば、中国が関わりたがる理由もなくなります。過去、中国には皇帝がいました。当時、皇帝はチベット人の高僧ラマに関心を寄せていました。皇帝自身が仏教徒だったのです。実際にチベット人ラマから教えを授かった皇帝もいました。精神的に特別な関係が成立していたのです。ですから当然ながらダライ・ラマが亡くなったときには、中国は関心を示し、介入してきました。それはあたりまえのことです。しかし、現在の事情はまったく異なります。中国が介入したがるのは政治的な理由からです。ですから私は、共産党員はまず生まれ変わりの理論を受け容れて、それからその理論に基づいて転生者を選ぶべきである、と冗談を言ったことがあります。そうすれば、ダライ・ラマの転生者について語る権利を論理的に持つことになります。

NDTV:
── 多くの人たちにとって、猊下は神のような存在です。しかし中国はまったく違う描写をします。ときには悪魔と呼び、ときにはグッチの靴を履いたラマと呼びます。猊下はご自身のことをどのようにお考えでしょうか。


ダライ・ラマ法王:

釈尊が生きておられたときも、一部の人たちは釈尊に対して非常に批判的でした。イエス・キリストも苦難を経験されました。よくあることです。私については、当事者である中国人官吏だと思いますが、官吏を引退したという一人の中国人に会ったとき、「悪魔という表現は本心からの言葉でなく、指示に従っただけだ」と言われたことがあります。ですから、この指示を与えた人物もまた本当にそう思っているわけでなく、政治的理由のためにそのような指示を与えたのだと思います。いつも言っていますが、私を罵ればいいのです。私を罵ることで問題が減るなら、これほどうれしいことはありません。

NDTV:
── 猊下のことをセレブな精神的指導者と考えている人たちにおっしゃりたいことはありますか?ハリウッドスターのリチャード・ギアと親しくされているという話は、ツイッターで高い関心を集めていますし、猊下のことを精神的指導者というよりもセレブだと言う人たちもいます。このような人たちにおっしゃりたいことはありませんか?

ダライ・ラマ法王:

それも気にしていません。神とか王とか言う人もいますがナンセンスです。悪魔と言う人もナンセンスです。最初にこのような質問を受けたのはノーベル平和賞を受賞したときなので1989年だったと思いますが、たくさんのメディアから自分のことをどのように思っているか訊ねられました。「私は一介の僧侶だ。それ以上でもそれ以下でもない」と答えたものです。今でもその気持ちはまったく変わっていません。

NDTV:
── 猊下、多くの人にとって猊下は神なのです。

ダライ・ラマ法王:

それは彼らの考えです。彼らが本当にそう思い、そう思うことが彼らのためになるのならそれでよいでしょう。私のことを悪魔と呼ぶ人たちが、本当にそう考え、それで本当に幸せなら、それで構いません。

NDTV:
── ここで、カルカッタからの質問を聞いてみましょう。


質問4:
こんにちは。カルカッタのラージャ・グハと申します。猊下にささやかな質問をさせていただきます。最近の新聞に、中国の警察がチベットで起きている焼身などのさまざまな事件のことでインドにおられるダライ・ラマ法王を非難しているという記事が載っていました。猊下はこれをどのように考えておいででしょうか?

ダライ・ラマ法王:

ええ、その話は聞いています。私は心の底から笑いたいような気持ちです。中国側も必死になりつつあるということでしょう。自分たちのしていることが外側の世界に釈明できないことだとわかってきたのです。中国政府は自国の国民に対してもさまざまな情報規制を行なっています。近年、私は中国人に会う度にいつも「13億人の中国人すべてに現実を知る権利がある」と言っています。現実を知りさえすれば、何が良いことで何が悪いことなのか、13億人の中国人が自分で判断できるのです。つまり検閲は、自国の民を馬鹿にした不道徳な行為です。民に事実を知らせ、良し悪しの判断は民に任せるべきなのです。そして第二に、中国の司法システムについては国際的なレベルに引き上げねばなりません。そうすれば、非常に多くの中国の貧しい人たちが何らかの保護を得ることができるようになります。この二つが非常に重要である、と私は考えています。検閲があるから情報がゆがめられるのです。先程も述べたように、不正な発表をする人たちは、それが真実でないことを知っています。『人民日報』が私に関するあらゆる非難を書き連ねた後、中国の知識人たちが自国の新聞に対する否定的な気持ちを表明したことも聞いています。

NDTV:
── しかし、このような悲劇——焼身については、中国政府は「焼身はすべての仏教徒にとって完全に反する行為である」と主張しています。焼身抗議という自死の道を選んだ人たちのことを猊下はどのように見ておられるのでしょうか?殉教者としてなのでしょうか?猊下のために命を投げうった殉教者として見ておられるのでしょうか?

ダライ・ラマ法王:

仏教的見地から厳密にいえば、究極的には動機に依ります。動機に依りますから、何が良く何が悪いのかを決めることはできませんし、言うこともできません。これは個人の動機に依存する問題であるからです。昨年、日本にいるときに焼身抗議が起きました。そのとき私は、「今こそ中国政府は完全な調査を行ない、このような悲しい事件の原因をつきとめねばならない」と言いました。これらの事件は原因があってのことだからです。きわめて悲しいことです。しかし彼らはとてつもない決意を持って臨んでいます。酔っぱらっていたとか、家庭内の問題があったとかではないのです。彼らは二代、三代にわたって、本当にたくさん苦しみ続けてきたのだと思います。ですから私が何かを言うには、彼らに何らかの提案をしなければなりません。しかし、何もないのです。じつに悲しいことです。ただ祈ることしかできないのですから。彼らのために何かできるのは中国政府です。しかし、中国政府は彼らをただ非難しているだけです。それでは問題を解決することはできません。ゆえに今こそ、完全なる調査に取り掛かり、これらの事件の原因を明らかにするべきなのです。中国政府はこれらの事件についてもっと真剣に考えねばなりません。

NDTV:
── 95人ですから、きわめて多数です。若い女性や僧侶も焼身しています。焼身を行なわないよう呼びかけていただくことはできませんか?

ダライ・ラマ法王:

前にも言いましたが、これは微妙な政治的質問です。政治的指導者が、「我々はそのような行為を決して奨励しない」と当初からきわめて明確に表明しています。しかし同時に、彼らに何らかの提案をできてはじめて、「こんなことをしてはいけない」と言うことができるのです。このような方法があるという提案が必要です。しかし、ないのです。苦しみに耐えかねた患者が医者に「お願いだから慈悲殺を!」と懇願しているようなものです。非常に難しい問題です。

NDTV:
── これは外交上の問題であるとお考えでしょうか?インドや米国がこの問題にもっと関わり、中国に圧力をかけていくべきなのでしょうか?なぜならおそらく焼身を図る人たちはチベット問題の行く末がわからず、フラストレーションを感じています。世界規模の圧力をもっとかけるべきだとお考えでしょうか?インドも圧力をかけるべきでしょうか?

ダライ・ラマ法王:

多くの国が公的に、あるいは見えないところですでに圧力をかけています。境界線の問題は今もまだあります。インドは我々にとってグル(師)です。私はインド人の皆さんの前で話すとき、「私はみなさんのチェラ(弟子)で、みなさんは私のグルです」と申し上げることがあります。弟子が困れば、師も多かれ少なかれ責任を感じてしまいます。私はジャヤプラカシ・ナラヤン(Jai Prakash Narayan)氏やアチャリャ・クリパラニ(Acharya Kripalani)氏のことを忘れたことがありません。彼らをはじめ、インドの人々は当初から、チベット問題を解決するための協力を自ら進んで申し出てくださいました。それにインドの指導者はどなたもチベット人のことを心配してくださっています。しかし同時に、インドがどこまでできるか、という問題があります。限界があるのです。米国にしても、限界という問題に突きあたっています。

NDTV:
── ムンバイから猊下に質問があります。


質問5:
セント・ザビエルカレッジのタニヤと申します。宗教テロが世界中に蔓延していることについて、宗教家として世界の最高峰におられる猊下のお考えをお聞かせください。

ダライ・ラマ法王:

この宗教を信心しているとか、あの宗教を信心しているとか言う人たちを含め、一般的に道徳感が欠如していることの現れであるのは確かだと思います。彼らがしていることを見るかぎり、彼らが真剣に宗教を信仰しているとはとても思えません。

NDTV:
── イスラムの過激派やヒンドゥー原理主義のことですか?

ダライ・ラマ法王:

すべての宗教について言えることです。宗教は違っても、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教などすべての宗教が思いやりや許し、寛容を説いていますし、互いのことをブラザー、シスターと呼びあっています。現在に限らず過去の歴史においても、宗教の名を借りて暴力的な手段をとったり、何かをしたりする人たちはいました。経済的な理由や政治的権力など、たんにそういうことのために宗教の名を使うのです。彼らは宗教を巧みに操作します。暴力的活動を行なう人たちを宗教者として認めることはできません。私はそういう人たちは本質的には無信仰者だと思っています。あまりにも感情的になりすぎています。本当に神や仏を信じているのなら、思いやりや許し、寛容を実践すべきです。そうすれば暴力などなくなります。しかし基本的には彼らを責めることはできません。自己中心的な風潮があまりにも強すぎるのです。他者の権利をないがしろにするのなら、思いやりや許しを語っても、たんに口先だけということになります。私は、「私たちが真剣にならなければ、宗教が私たちに偽善の実践を教えていることになってしまう」と申し上げることがあります。口先だけ良いことを言って、逆のことをするのは完全に間違っています。そのようなことをする人たちは本質的に無信仰者です。

質問6:
セント・ザビエルカレッジの学生です。猊下はこれまで信念を失くされたことはないのでしょうか?常に今のような宗教的見地を持っていらしたのでしょうか?

ダライ・ラマ法王:

釈尊ご自身も、「信心しているから、帰依しているからという理由で私の教えを受け容れてはならない。教えをよく調べ、よく試してみるべきである」と述べられています。ナーガールジュナやアーリヤデーヴァ、アサンガ、チャンドラキールティをはじめとするナーランダの偉大な学匠たちはみな、さらには釈尊ご自身でさえも、釈尊の所説を受け容れるべきか否かをよく調べ、研究なさいました。ですから私もその伝統に従っています。たとえば須弥山ですが、仏教徒の多くは須弥山が本当にあるとはもはや思っていません。

NDTV:
── そうなのですか?

ダライ・ラマ法王:

ええ、そう願います。また仏教徒をいじめていますが(笑)。現実を受け容れる権利があるということです。現実を受け容れなければなりません。地球が丸いことは科学的に証明されています。宇宙から撮った映像をこの目で見ることもできます。地球が平面であると信じられていた頃は、世界の中心に須弥山があり、太陽や月もこれをめぐっていると考えられていました。しかし〔現代の〕仏教徒として、これを受け容れることはできません。四諦や相互依存の概念、サンスクリット語でいうプラサンナパダーはじつに科学的なものです。ですからもっと実験すること、科学者や無信仰者ともっと話し合う必要があると思います。そうすることで、相互依存——プラサンナパダーに対する私の信仰心は深まっています。すべてはそれぞれの原因と条件に相互に依存しています。〔仏教では〕創造主はいません。創造主の概念に基づく宗教もすばらしいと思います。じつに有効でパワフルなとても良いアプローチだと思います。しかし、仏教やジャイナ教のアプローチはこれとは異なります。

NDTV:
── 仏教の教えはさておき、猊下は6歳のときにダライ・ラマの転生者として発見され、現在77歳におなりかと思います。猊下は世界中を見てこられました。ご自身のことを一介の僧侶とおっしゃいますが、違うことをしてみたいと思うことはなかったのでしょうか?違う人生を歩んでいたかもしれないと考えることはありませんか?

ダライ・ラマ法王:

現世においてですか?

NDTV:
── 現世の、6歳から77歳までの70年間についてです。今歩んでおられる道に疑念を抱かれたことはありませんか?

ダライ・ラマ法王:

ありません。〔ダライ・ラマになっていなければ〕親友や家族など親しい人とのことでいっぱい頭を悩ませていたでしょう。

NDTV:
── 奥さんがいない人生のほうがシンプルだということですか?

ダライ・ラマ法王:

友人を見ていて、本当に大変だと思ったことがあります。

NDTV:
── 夫婦喧嘩のことですか?

ダライ・ラマ法王:

グローバルな問題についてのケンカならよいのです。しかし些細なことでケンカするくらいなら、独身のほうがいいです。本当にそう思っています。私は夢のなかでさえ、自分がひとりの僧侶であることを忘れたことがありません。夢のなかで自分がダライ・ラマだと感じたことは一度もないのです。どんなときも、自分は一介の僧侶であると感じています。

NDTV:
── 50年以上インドにおられて、とくに好きな食べ物や音楽はありますか?

ダライ・ラマ法王:

インドのダルとチャパティが好きです。ここ数年、私は自分のことをインドの息子と宣言しています。あるとき、中国の海外メディアが私に会いに来たことがあるのですが、そのときひとりの中国人が、なぜ「私はバイシャ(インドの平民)だ」などと言ったのかと深刻な顔で訊いてきました。彼は、これには政治的理由があるに違いないと思ったのです。そこで私は彼に言いました。「私の思考、私の脳、私の脳の細胞のひとつひとつはナーランダの思想でできている。ナーランダの思想は古代インドの思想だ。私の身体にしても、この50年間はインドのダル、インドの米、インドのチャパティで生き延びてきた。だから、精神的にも身体的にも私はこの国のものでできている。ゆえに自分のことをインドの息子と言うのだ」と。

NDTV:
── 猊下、すばらしいお話です。今夜最後の質問です。インドのエシカルリーダー、インフォシス・テクノロジー社のナーラヤナ・ムルティ氏からです。


ナーラヤナ・ムルティ:
ダライ・ラマ法王猊下、猊下は人生における成功をどのように定義されますか?

ダライ・ラマ法王:

意義ある人生とは、私たちが社会的な生きものであってのことです。70億の人間が社会的な生きものなのです。他者のことを社会的な生きものとみなし、ほかの人たちのことを気にかけている人がいればとても気分がいいものです。逆にいつもケンカしている人がいれば、自分はそれに関わっていなくても嫌な気持ちになるものです。自分自身もまた社会的な生きものであることに目を向けねばなりません。私たちがこの地球に生まれたのは、ケンカをするためでも苦しむためでもないのです。どんなに経済的に豊かで、高い教育を受けていたとしても、物質優先の教育や権力が主体では他者に対してさらなる問題をつくってしまうだけです。そんなことでは本当に人生を無駄にしてしまいます。少なくとも、他者を利するために人生を使うことです。クリスチャンのブラザーやシスターのように、他者のウェルビイングのために人生を完全に捧げている人たちもいます。非信仰者を含め、精神性を重んじる人たちの多くが、他者のウェルビイングのために人生を捧げています。意義ある人生だと思います。彼らは人生を終えるとき、幸せに思うでしょう。私自身も他者のウェルビイングのために人生を捧げているひとりです。敵をつくったことはありませんし、他者を困らせようとしたこともありません。一方で、億万長者があまりにも自己中心的になると、他者をいじめたり、ごまかしたりということが出てきます。そして人生の最後になってお金や権力がもはや役に立たないことに気づき、他者を困らせたことやいじめたことやごまかしたことを後悔しながら残りの日々を過ごすことになります。そうなれば、その人はきわめて不幸で、無力な人ということになるでしょう。ですから私は、人生すべてを他者のウェルビイングのために捧げることが自分の人生を充足させることになる、と考えています。ゆえに私は、できるかぎり他者のために尽くすようにしています。それが人生を充実させるための正しい方法であり、意義ある人生になるものと思っています。

NDTV:
── 猊下、2013年のはじめにすばらしいお話をありがとうございました。『ユア・コール』に出演いただき、ありがとうございました。


(訳:小池美和)

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