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ダライ・ラマ法王米国議会黄金勲章受賞記念特別寄稿
「平和はわたしたちすべての内にある」

(2007年10月21日(日)ワシントン・ポスト(The Washington Post))

※本記事は、米国議会黄金賞を受賞した際に、ダライ・ラマ法王がワシントン・ポスト誌に寄稿したものです。

自由を願う人間の基本的な欲求を、物理的な力でもって抑えつけることはできない。ここ数十年の間に東欧の街々で行進した何千人もの人びと、わたしの故郷チベットの人たちが見せる断固とした意志の強さ、そして最近ミャンマーで起こっているデモ、どれを見ても、この真実を思いださせてくれるものばかりです。自由こそが、創造の源であり人間の発展の証しです。共産主義が主張するように人にただ衣食住を提供すれば足りる、そんなことではないのです。たとえ衣食住に困らなくても、より深いところにある人間の心を大切に慈しめるような自由、それを育む空気を欠いているところでは、わたしたちは完全な人間にはなれません。

しいたげられてきた人たちは、かつて自由を求める過程において暴力に訴えることが少なくありませんでした。しかし、マハトマ・ガンジーやマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師といった理想家たちが、非暴力がもたらす変化への道を示してくれました。わたしたちのほとんどは基本的に平和を望んでいる、そうわたしは信じています。奥の奥では、わたしたちは建設的に成長し多くの実りがもたらされることを欲し、破壊は好みません。社会から暴力を減らす必要性について、今日、賛同する人はたくさんいます。このことについて本気で真剣に取りくもうとするのであれば、わたしたちすべてが抱えている暴力の根っこを照らしださなければなりません。兄弟同士の間で抱いてしまう疑念や憎悪や敵意といった感情を避け、「内なる武装解除」を果たさなければならないのです。

さらにわたしたちは、関係の網の目がとても密接な今日の世界で暴力が用いられるという現実そのものに、自分がどう関わっているのか、捉えなおしてみなければなりません。武力を使った解決のほうがたやすいと感じてしまうこともあるでしょう。しかし多くの場合、誰か他の人間の権利や生活が犠牲になっています。一つの問題が解決したように見えても、別の問題の種がそこに蒔かれてしまい、このようにして暴力対暴力の繰り返しがまた新たに始まってしまうのです。チェコ・スロバキアのビロード革命から、フィリピンで起こった民主化運動まで、非暴力がいかに見事に政治改革をなしとげてきたか、世界は目撃してきました。けれども本当の意味での非暴力の実践は、未だ実験的段階にあります。この実験が成功したら、今よりもずっと平和な世界への道が開けるでしょう。わたしたちは、人類の争いを解決するために、より現実的な方法を取り入れなければなりません。それは、相互依存が度合いを増している今の世界の、新しい現実に沿った方法になるでしょう。そこではもはや、「我々と彼ら」という古い概念は通用しません。「我々」の側だけが一方的な勝利をおさめ、「彼ら」の側を一方的に打ちまかすというような考え方そのものがあり得ないのです。暴力的な争いが起きると、イラク戦争やダルフール危機の痛ましい例を引くまでもなく、最初に犠牲になるのは得てして罪のない人たちです。歩み寄りの精神に基づいた対話と和解を通してしか、今日、争いを解決に導く実現可能な方法を見いだすことはできないでしょう。

今、わたしたちが直面している問題の多くは、わたしたち自身がつくりだしているものです。そうした問題の原因の一つに、人間は心をかきみだされるとそれをコントロールできなくなるということがあるのではないでしょうか。この点は、世界じゅうの偉大な宗教が説きつづけてきたことでもあります。

かつてチリの科学者が、自分の研究分野に愛着を感じてしまうのは科学者としてよろしくないと、わたしに語ってくれたことがあります。客観的な見方を保てなくなってしまうからです。わたしは仏教徒ですが、仏教への信心と愛着とを混同させてしまっては、偏りが生じてしまうことになるでしょう。偏った心が、完全なる姿を目にすることは決してありません。そういった心から生じるいかなる行動も、真実と出会うことはないのです。もし、宗教家たちが先ほどご紹介した科学者の忠告を心に留め、自分たちの信仰に抱いてしまう愛着を抑えることができたら、原理主義が育っていくのを防ぐことにつながると思います。さらにまた、自分の信仰よりも他人の信仰心に心から敬意を払う、そういう人たちも増えてくるでしょう。これまでにもたびたびいってきたことですが、人は、個人の信仰のレベルで「一つの真実、一つの宗教」の教えを支持するその一方で、社会がより広くなっていっている現在では、「多くの真実、多くの宗教」という考えもまた、同時に受けいれなければならないのではないでしょうか。この二つに矛盾はないと思います。

わたしは何も、健全で道徳的な生き方を送るのに、あるいは本当の幸せに至るために、宗教が必要不可欠だとおすすめしているわけではありません。信仰を持っていようといまいと、最終的には、良い人であるかどうか、親切で暖かい心の持ち主かどうかが問題なのです。支え合いの感覚に深く根ざした、他人を思いやる気持ちは、世界じゅうの偉大な宗教すべてが教えてきたエッセンスです。これまでの人生でわたしは常に、人間が持っている「善性」について語ってきました。愛の価値を求めそしてそれに感謝すること、わたしたちが生まれながらに持っている慈悲心、本当の友だちを求める気持ち、これらについて語りつづけるのは、わたしにとってもっとも大事な使命だと思っています。自分と他の人とをくらべたとき、どんなに奇異に見えても、服装やふるまいが変わっているように感じても、そんなことは大した違いではありません。

地球を外から撮った写真を初めて目にしたとき、わたしは、しみじみと感じました。なんて小さくてはかない星なんだろう、その上で争いごとをしている我々はなんてちっぽけなんだろう、と。目に見える違いにとらわれすぎると、世界のあらゆる宗教にしてもイデオロギーにしても政治制度にしても、人類を破壊するのではなく人類に寄与することを目的にしているのだということを、忘れてしまいがちです。1970年代のことでしたが、旧ソビエトでわたしは、ごくごく普通の人たちにまで、自分たちを憎悪している西側諸国が今にも侵略をしかけようとしている、という偏執的な思いが広まっているのを目の当たりにしました。もちろんただの思い込みにすぎないとわたしはわかっていましたが。

今日、かつてないほど必要に迫られていることは、人類が基本的に一つであるという根本的な認識を、わたしたちの世界観と世界が向かうべき方向の基盤に据えるということです。地球温暖化の危機的状況、貧富の差の増大、世界規模に広がるテロリズムや宗教紛争。わたしたちは、より広く包括的な見方ができるよう、態度や意識を根本から変えていかなくてはなりません。

社会としては、次世代をどのように教育していくか、その基本的な考え方を変える必要があります。人の心を教えるにあたって、現代教育には、根本的な何かが欠けています。この重要な問題について考えを深め、脳の発達と心の発達が調和していない現在のアンバランスな状況を正していけることを、わたしは望んでいます。

人間社会に慈悲の心を育んでいくにあたっては、女性の果たす役割が特に重要になります。母親には自分の体内で胎児を育てるという生物学的な条件があるからでしょうか、一般に女性は、感受性や共感能力をより強く持つようです。初めてわたしに愛と慈悲を教えてくれた先生は、わたしの母親でした。母親はわたしに最大限の愛を注いでくれました。 けれども、慈悲を説く上での母親の役割について述べているからといって、女性を家庭の中に閉じこめるような古い考え方を強めようとしているわけでは、いかなる意味においてもありません。人びとを導く上で、肉体的な強さよりも教育と心の広さが大切になる時代となり、人間社会のあらゆる分野で女性がより積極的役割を果たすときが来たのだと、わたしは確信しています。そうして、より公平で思いやりに満ちた社会ができていくことでしょう。

概していえば、わたしは未来に関して楽観的です。1950年代から60年代くらいまで、人びとは、戦争は人類の性質上避けられないことなのだとか、争いが起きたら力を行使して解決すべきだとか、信じていました。今日も相変わらず紛争やテロの脅威が続いてはいますが、それでも人びとは、世界平和を心から気にかけ、既存のイデオロギーには寄らずに、とにかく共生を望むようになっています。

地球に対する考え方が急速に変化していることにも、同じく希望が見いだせます。わたしたちはごく最近まで、まるで地球には限りがないかのように、その資源を考えなしに消費しつづけてきました。しかし今では、個人ばかりか政府までも、新しい生態系に優しい方法を求めています。わたしはときどき、月や星はきれいだけれどみんながそっちで暮らそうとしたらどうしようもなくなってしまうだろうと冗談をいったりするのですが、とにかく、わたしたちが暮らすこの青い地球は、わたしたちの知る限りもっとも快適な住まいなのです。そこに生きる命はわたしたちの命であり、その未来はわたしたちの未来です。そして今、母なる自然がわたしたちに語りかけます。助けあいなさいと。温室効果ガスやオゾン層の破壊といった地球規模の問題に相対するとき、個人のグループや一つの国だけでどうにかなるものではありません。母なる自然がわたしたちに、世界的な責任を説いているのです。

20世紀は流血の世紀でした。21世紀は、そのスタートこそつまずき気味ではありますが、慈悲と非暴力の種がきっと花開く、対話の世紀となるでしょう。しかし志だけでは駄目です。わたしたちは、増大していく兵器に本気で反対し、さらなる武装解除の実現に向けて世界規模で努力を払わなくてはなりません。

大きな人の流れも、一人の人が動くところから生まれます。もしもあなたが、自分には大したことはできないと思ってしまったら、隣にいる人も意気をそがれてしまい、大きなチャンスを逃すことになるでしょう。反対にわたしたち一人一人が利他的に動くことによって、ほかの人を力づけることができるでしょう。慈悲に溢れた心と気持ちでもって、世界とともに。


※ダライラマ14世、テンジン・ギャッツォは、チベットの精神的指導者。1959年以来、亡命チベット政権の拠点、北インドのダラムサラに住む。

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