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チベット子供村(TCV)45周年記念行事における
ダライ・ラマ法王による子供たちへのスピーチ

(2005年10月23日(日)インド・ダラムサラ TCVにて )

入場するダライ・ラマ法王
(えんじ色の傘の下)




ダライ・ラマ法王のスピーチに聴き入る、
TCVの子どもたちと聴衆

私たちチベット人は、様々なことを経験しながら今日まで努力してきました。今後も困難なことに直面するかもしれませんが、今までの経験を元にして、これからも私たちは一生懸命にやっていかなくてはならないと思います。

私たち人間を中心として、この世の中にはたくさんの様々な生き物が存在しています。私たち人間は幸福を求め、苦しみを望まないものですが、それは万物に共通しています。

私たち人間の営みや価値観は、道徳を中心に養わなければなりません。長い人生において、人の未来は、「仏教の教え」と「道徳」、そのふたつに基づいて養うことができると思います。

私はここで長い話をするつもりはありませんし、その時間もありませんが、強いて簡潔に話しをするとしたら、「万物は苦しみを望まない」ということを申し上げたいと思います。

人間は幸福を望みますが、幸せには様々なものがあります。
一時的な幸せは、道徳的な教育によって得ることができるものです。
そして、将来や来世の幸せは、仏教の教えに基づいて得ることができます。

仏教の深い教えは、チベット王朝時代から積み上げられ、王様たちが努力して積み重ねてきたものです。それは、他の国や、他のどの民族にも劣ることのない、大変優れた教えになっています。

現在、仏教の教えが簡潔に書かれ、きちんとした形で残っているのはチベット語だけです。仏教の教えすべての内容はチベット語で書かれ、チベット人が分かるようになっていますし、勉強しやすいようになっているのです。

また、贅沢な生活をしたいと思う一時的で物質的な現世ですから、私たちには道徳的な教育が必要なのです。

昔のチベットには、ひとつの価値観がありました。しかし、21世紀の今、人間の価値観は変わってきています。世界の人口も増えていますし、かつての価値観だけではこの21世紀を追求できないでしょう。昔の価値観や方法では、問題を解決できない時代です。世界情勢も変わってきています。チベット人の状況は、以前と同じ方法を用いても何も改善されませんし、問題は解決しないでしょう。私たちは、「世界は変化している」ということを理解して生活する必要があります。

私たちは難民となって46年目になりますが、様々な努力をしてきました。今後もますます努力する必要があると思います。

人間の幸せは、「他者を思いやる心」に左右されます。そういう意味でも私たちには道徳的価値観が必要です。
良いことをすれば、自分も幸せになり、悪いことをすれば、自分も不幸になります。これは自然なことですね。

個人個人の幸せや心の持ち方次第で、社会そのものを変えることができます。

個人が良いことをすれば、社会も良くなり、個人が悪いことをすれば、社会も不幸になるのです。つまり、悪いことをすると、社会そのものが不幸のどん底に落ちるということです。

仏教を信じようが信じまいが、そういう意味で、良いことを行ってより良き人間になることは、個人個人に必要であり、社会全体に必要なことなのです。

良い人間が良い一生を送るためには、正しい教養と正しい知識が必要です。このふたつのバランスがなければ、より良い人間となり、良い人間生活を送ることはできません。
一時的な幸せ、そして永遠の幸せのためにも、教養と知識が必要となってきます。長い目で見ても、長期の幸せのためにも、知識と教養はなくてはならないものなのです。

また、ただ信仰する、三宝にただお祈りするだけでは意味はありません。本当の意味で信仰を持ち、教典を理解するためには、知識と教養が必要不可欠となります。
仏教は正しく理解したうえで信仰することが重要です。そうでなければ意味がありません。教えを理解するためには、基礎知識が必要となります。盲目的に信じるのではなく、原因を追及して、ひとつひとつ階段を昇っていくように、信仰していくことが大切です。
仏教を信仰しているからといって、真言を唱えたり、五体投地をするだけでは何ら意味はありません。正しい動機と正しい教え、そして追求心をもって、ひとつひとつのものを深く理解することによってのみ、深い信仰へとつながり、信仰はしっかりしたものとなるのです。

写真

TCVグラウンド内に掲げられた言葉、Others Before Self

仏教を信仰するチベット人は今、難民として生きています。仏教の教えの中で、難民生活を送っています。
私たちは、世界の難民の中では「特別な成功した難民」と、周りの国々から言葉をかけられていますが、それは私たちの背景に、仏教と温かい思いやりの教えがあったからこそだと思います。
チベット人には仏教を信仰し、その教えを守るための責任があります。理由もあります。そのために努力すべきですし、私たちにはその責任があるのです。

また、チベット本土の環境についても同じです。私たちの国は自然が美しく、空気もきれいな国です。世界のどこから見ても、とても美しい価値ある国といえます。そうしたきれいな自然環境に棲む貴重な植物や動物も、世界の美しきものとして、守るべき価値があります。
今、アフリカでは自然環境や動植物は大切なものとされ、保護され、守られていますが、同じようにチベットの自然環境も動植物も守られるべき価値があります。チベットの自然環境は、世界にとって重要な価値となっているのです。

自分の国のために声をあげ、国を創るために世界に向けて主張することには価値があります。真実に基づいているのですから、それは正しい行為です。
私たちは真実に基づいて闘っています。私たちには、自信を持って声をあげて主張すべきですし、その権利もあります。
誰かと向き合っても、顔をはっきりと見たうえで、自分の国の価値をはっきりと主張することができます。
自分たちには、正義も価値もあるのです。私たちの手の中には、真実があるのです。真実に基づいて話すとき、恐がることはありません。堂々と主張することができます。
チベット人に正義がないなら、価値を求める権利はありません。しかし、私たちチベット人には、自分の国のために主張する権利があります。
私たちが主張するのは、「非暴力」、「慈悲」、「思いやり」です。それを元に闘っているのであって、武器をもって闘っているのではありません。正義をもって闘っているのです。

正義に基づいて闘うためには、教養が必要です。今の世界の情勢の中で、正義と教養に基づき、チベットの価値を訴えることは重要です。
正義のためや、何かを勝ち取るためだけではなく、人間一人一人の生活においても教養はとても大切です。
難民のチベット人も、本土のチベット人も、自分の長い人生のためにも、仏の教えを守るためにも、政治や日々の生活のためにも、私たちには知識と教養が必要
なのです。

僧侶たちも、本当に経を読み、教えを真に理解することが大切です。お経を読んでいるだけでは意味がありません。チベット本土でも仏教の内容を学んでほしいし、また尼僧にも努力をしていただきたいと思います。亡命して46年、尼寺ができて30数年になります。多くの女性が仏教を追求する時代になりました。尼僧の中から1人、2人とゲシェ(教授)が出ていますし、これからもたくさん出てきてほしいものです。

チベット国内にいる尼僧も僧侶も、男女問わず、知識をとことん勉強する必要がありますね。昔から、僧がいて、お寺があり、そこに教えがありました。両立していたのですが、今も昔と変わらず、同じ内容を学ぶ必要があります。同じ仏教の内容を知る必要があります。

老若男女、俗人問わず、知識、教養を身に付けることは非常に重要です。学生はむろん、子供だけでなく、年配であってもいつも知識と教養を身に付けることが大切です。

重要なことは、盲目的に仏教を信仰するのではなく、ひとつひとつ勉強しつつ、自分の謎を解いていくことです。
難民であっても、勉強しなさい。教養を身に付けなさい。
それが、みなさんに一番お願いしたいことです。

法王が座る観覧用の特設テント


歌と踊りを披露する幼児クラスの子どもたち

余談ですが、最近、チベット本土の写真集を見ていたのですが、チベット人の中に装飾で飾り、宝石をたくさん身に付けている人がいました。そういう人を見ると、私は恥ずかしくなって、ものが言えない状態になります。
外を飾り、内側も教養があれば、それはひとつの飾りとして尊敬しましょう。中身もなく、教養もなく、人間性もなく、知識もなく、ただ飾りをつけていれば、それは恥ずかしいことですね。
チベット人は、中身を身に付けなさい。
これはとても大切なことです。私はそう言いたいです。
仏教の教えを身に付け、日常生活に必要な教養を身に付けること。そのふたつがあれば、すばらしい人間になれると思います。
ただ外見だけ飾り立てていても意味はありません。
飾りをつけて幸せだろうか? 私たちひとりひとりどれだけ苦労しているだろうか? それを考えると、疑問ですね。
時々、すばらしい指輪をしている人も写真で見かけます。あれは苦しそうですね。あれで、文字は書けるのか? あれで、ツァンパを食べられるのか?と疑問に思うことがあります。それは、進歩的な考え方ではありません。遅れた考え方です。教養のある人なら、変な目で見ることでしょう。

チベット人は外見を飾る民族ではありません。私たちには歴史があり、すばらしい先祖を持った、すばらしい民族です。先祖に追従する私たちも、恥ずかしくない民族になる必要がありますね。

仏教に基づき、教養に基づいて人生を送るべきです。一時的な飾りに執着して生活を送るべきではありません。それはいけません。

最近、本土では動物を殺して毛皮を売って商売をする人もいます。それはチベット人の恥ですね。本当によくありません。中国政府が動物を殺してはいけないという法律を作っているようですが、それはとてもいいことです。チベット人にもしそういう人がいるなら、止めるようにお願いします。

最後に、些細なことですが、チベット暦の11月15日、南インドでカーラチャクラがあります。努力して、苦労して参加する人がいますが、危険を冒し、命をさらしてまでもインドに来る必要はありません。そういう状態でカーラチャクラを聞きに来てもよくはありません。私も良い気はしません。
チベットとネパールの国境の間に難所がありますし、その困難に直面してまでもカーラチャクラを受ける必要はありません。
南インドに来ること、カーラチャクラに参加することに意味があるのではありません。自分の国に留まり、自分の民族のために、教えのために何か良いことをすることが非常に大切です。
11月15日、地方のお寺や家でお祈りをし、真言を唱えることが一番良いことです。そして「優しさ」、「親切」、「思いやり」の心について思うことが大切です。すべては「縁起」によって成り立っていると思う生活を送っていただければ、私も安心です。
カーラチャクラに参加しなくても、カーラチャクラの真言を唱えるのもいいでしょう。
私はインドから、チベット国内の人々のために、心をこめた本当のお祈りをします。国内にいる人のためにもお祈りしますので、安心しなさい。そうやってお祈りをした場合は、必ず結果につながると思います。
私たちが祝福を受けるのは、人間同士の結びつきによってです。言葉だけでなく、人間と人間のつながりによって祝福を受けるのです。
近くにいる者も遠くにいる者へも、心からの祈りは、みんなに届きます。近い、遠い、幸せ、不幸せであることも関係なく、広く祝福を受けることができます。ですから、苦労をして、たくさんの困難を乗り越えてカーラチャクラを受けに来る必要はありません。心でそれを受けてください。それをお願いいたします。

最近、寺の僧侶や尼僧たちを中国政府が分離主義者として捕まえ、殴ったり、蹴ったりして、命を落とすことがあるようです。
「ダライ・ラマを批判しなさい」とその時に言われますが、危険を冒す必要はありません。自分の命を賭す必要はありませんから、批判するときは、ぜひ批判しなさい。
チベット国内にいる人は、気持ちを率直に話す機会がありませんから、中国の言うなりに、言う通りにしなくてはなりません。
自分の命をさらしてまで、私を尊敬し、祈る必要は全くありません。

拷問を受けた場合、私を批判することで拷問が軽くなるなら、そうしなさい。
生きるためにはそれが一番、手っ取り早い方法です。その方が、私も嬉しいのです。
中国の言うことを聞くことが、かえって、良い結果につながることもあるでしょう。
僧や尼僧が私を批判せず尊敬したために、お寺から追放されることがあります。追放されるだけなら問題はないのですが、殴られたり蹴られたりして体に障害を受けたり、中には命を落とす人もいます。それは長い人生にとって本当に良くないことです。
中国の言うとおりに、笑顔を見せる時は笑顔を見せ、中国の機嫌を損なわないように、言う通りにすることが大切です。
批判するときは、ためらうことなく、私を批判してください。

以上が私からのお話です。

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