「大チベット(Greater Tibet)」に関する内閣主席大臣サムドン・リンポチェ教授の基調演説
2009年8月27日 ニューデリーにおける円卓会議にて
- はじめに
- 1. 「大チベット(Greater Tibet)」という用語の定義および用法
- 2. 「大チベット(Greater Tibet)」というプロパガンダ
- 3. ダライ・ラマ法王の要求とは?
- 4. 中華人民共和国が唱える異議とそれに対するチベット側の立場
- 5. 機は熟しすぎた
- 6. 単一自治機関による全チベット民族統治の利点
- 7. 結論
はじめに
1979年以来、ダライ・ラマ法王は中道のアプローチを提唱してこられた。つまり、チベットは独立を求めず、中華人民共和国の枠組みの中で存在していくということだ。チベットの文化的あるいは宗教的伝統とアイデンティティを守り発展させていくために、全チベット民族が対象となる民族区域自治を実行してもらいたい旨を、ダライ・ラマ法王はこれまでに何度となく要請してこられた。
1951年、17条協定の交渉中より、チベット側は常に全チベット民族に対する単一の自治を要求してきた。以来チベット民族の願いに変わりはない。
2002年にチベット亡命政権と中国政府間の直接交渉が再開し、ダライ・ラマ法王特使らと中国政府の関係者との間に8回の公式会談と一度の非公式協議がもたれた。会談の中で私たちは、全チベット民族に対する自治は中華人民共和国憲法および民族区域自治法の枠組みの中で実現可能であり、それがいかに有益であるか、ということをさらに明確に示してきた。
残念ながら中国側は私たちの主張を歪曲して捉えた。ダライ・ラマ法王が「大チベット(Greater Tibet)」を要求しているというのだ。このプロパガンダは問題の全容を知らない方たちに混乱や誤解を招きかねない。この度、チベット研究グループによって本会議が設けられ、この件に関して詳細を説明する機会をいただいたことに感謝するものである。
1. 「大チベット(Greater Tibet)」という用語の定義および用法
「大チベット」という表現は古代インドの学者らによって用いられ、インドから地理的に離れたチベットの地域を意味していた。インドと国境を共有する地域、あるいはその近郊は「チベット(Bhota)」であり、それに対してインドから離れた地域は「大チベット(Mahabhota)」と呼ばれた。
サンスクリットでは地理的に遠くの場所を greater と表現するのが一般的である。例えば町に近いジャングルは「ジャングル(jungle , Aranya)」で、町から離れた所にあるジャングルは「大ジャングル(greater jungle , Maharanya)」と表現される。確かにこの語法では大きさや性質は直接表現されていないのだが、距離的隔たりがあるという意味を含んでいるのである。
中国とチベットが互いに敬意を込めて「偉大なる中国(Great China))「偉大なるチベット(Great Tibet)」と呼び合っていた時代もある。しかしこれはそれぞれ、中国全土、チベット全土を表現したものであり、領土の一部を指すものではない。821−822年に中国とチベット間に結ばれた条約にもお互いの呼称として同様の表現が用いられている。後に中国はこの敬称を「Great Tibet」から「High Tibet」に変更している。そこには国の偉大さよりも高原の地理的「高さ」を強調する意図がある。明朝および清朝の時代には中国国境に近いか遠いかを区別するために「近しいチベット(familiar Tibet)」「近しくないチベット(unfamiliar Tibet)」など、違った表現を作り用いてきた。
しかし、チベット人自身はチベットのいかなる地域を指すのにも「大チベット」という表現を使ったことはなかった。国の地域を表すのに伝統的に用いられてきた表現はある。「北部、中部、南部」や、「ウー・ツァン、カム、アムド」や、「三つの地区(Cholkas)」といった言い方だ。
1949年以前の中華民国では、モンゴルが内と外で別けられていたように、「内チベット(Inner Tibet)」「外チベット(Outer Tibet)」という用語が正式な表現として使われていた。内チベットは当時中国支配下にあった地域を指し、外チベットは独立したあるいは自治が実行されていた地域を指す。同表現はチベット、英国、中華民国が関与したシムラ条約(1913−14)の条文に見られる。
2. 「大チベット(Greater Tibet)」というプロパガンダ
中国政府がチベット民族の居住地全てを「大チベット」という造語で呼ぶようになったのは1979年以降のことである。「大チベット」は現在、チベット自治区とその他のチベット自治州および自治県に分割されている。
実際、チベットはチベットである。チベットには大も小もない。チベット人は誰もが中華人民共和国に住む55少数民族の一つ、チベット民族に属している。
中国政府は、ダライ・ラマ法王が中国の4分の1に相当する「大チベット」を要求している、と吹聴して国際社会を惑わそうとしている。ダライ・ラマ法王はチベット自治区に制定されていない地域をも合併し、なおかつその中国領土の4分の1に当たる地域の独立を要求しており、その要求は不当なものであると人々に信じ込ませようとするプロパガンダである。
実際にはダライ・ラマ法王は口頭でも文書においても「大チベット」という言葉を使われたことはない。1979年以降のチベット側の全ての書簡、声明、記録、関係書類等を調べてみれば「大チベット」という言葉が使われた例が一切ないことが判るだろう。中国政府はダライ・ラマ法王が「大チベット」を望んでいると思わせようとしているが、それは中国政府が作った造語なのである。
3. ダライ・ラマ法王の要求とは?
ダライ・ラマ法王が中国政府に要求していることは次の通りである。
- 全てのチベット民族自治地域に対し、一つの民族区域自治を実行すること。
- 憲法上の民族区域自治に関する規定を真に遵守すること。
ダライ・ラマ法王の要求は中華人民共和国憲法および民族区域自治法に準じている。
- 中華人民共和国憲法第4条には次のように書かれている。
中華人民共和国の諸民族は一律に平等である。国家は全ての少数民族の合法的な権利および利益を保障し、民族間の平等、団結および相互援助の関係を維持、発展させる。いずれの民族に対する差別と抑圧を禁止し、民族の団結を破壊し、または民族の分裂を引き起こす行為はこれを禁止する。
国家は、各民族の性質や必要に応じて少数民族が居住する地域を援助し、その経済的および文化的発展促進を支援する。
少数民族の集居している地域では区域自治を実行する。そこには自治機関が設置され自治権を施行する。
いずれの民族自治地域も中華人民共和国の不可分の一部である。
いずれの民族もそれぞれの言語と文字を使い発展させ、固有の習俗・習慣を保存あるいは改善する自由を有する。 - 民族区域自治法の前文には次のように書かれている
民族区域自治とは、国家の統一的指導の下、各少数民族が集まり住む地方が区域自治を実行し、自治機関を設立し自治権を行使することを指す。国家が民族区域自治を実行することは、各少数民族の内部事務を管理し、平等、団結、全体の繁栄を守る権利を国家が尊重し保障していることの具体的現れである。 - 同様に民族区域自治法第2条には次のようにある
区域自治は少数民族が集まり住む地域で実施される。民族自治地域は、自治区、自治州および自治県に分類される。
すべての民族自治地域は中華人民共和国の不可分の一部である。 - 集居する少数民族を分裂させることは上記の憲法に明らかに違反する行為である。それは過去の帝国主義体制下に採用された分割統治に似ている。各少数民族が団結することなくしてどうして全ての民族の団結がなし得るだろう?
これに関しては共産党幹部であるプンツォク・ワンギャル氏が次のような発言をしている。「分割統治によってチベットが統治できるという考えは間違っていた。これは歴史的にも苦い教訓になった。大国至上主義というものがなければ民族政策が分割統治に頼るようなこともなくなり、その政策を変更しようが修正しようが全く問題ではなくなるのだ。」 - 中華人民共和国憲法前文はその精神を厳かに宣言している
中華人民共和国は全国の各民族によって統一された多民族国家である。平等、団結、相互扶助の社会主義的民族関係は既に確立され、さらに強化されつつある。民族団結の闘争を維持する中で、大民族主義、特に大漢民族主義に立ち向かい、地方民族主義にも立ち向かう必要がある。国家は全国全ての民族の共同の繁栄促進のために全力を尽くすものである。
4.中華人民共和国が唱える異議とそれに対するチベット側の立場
)地域の大きさ
中国当局は、すべてのチベット民族自治地域を一つの統治機関下に置くことはできないという。その地域の大きさは中国領土の4分の1を占めることになり、それでは大きすぎる、というのが理由だ。
チベット民族の居住地域が中国領土の4分の1を占めるというのは事実である。しかしそれは私たちがクリエイトしたことではない。大昔からの自然なプロセスを経てそうなったのだ。今更どうにかできることではない。最近になってチベット民族があちらこちらに移住したわけではなく、チベットに文明が発祥した時からすでにチベット民族は現在のチベット人居住地域に存在していたのだ。
)大きさは問題ではない
チベット民族の居住地域は大きく見えるかもしれないが、私たちはその独立を望んでいるのではなく、一自治区として喜んで中華人民共和国に留まろうと言っているのだ。その大きさに関わらずチベットは中華人民共和国の領土に留まるつもりだ。チベット以外にも新疆ウイグル自治区や内モンゴル自治区といった広域に及ぶ自治区はある。新疆ウイグル自治区は中華人民共和国の領土の約6分の1を、内モンゴル自治区は約8分の1を占めている。つまり、同一民族のために一つの自治区を成立させるのにその地域面積の大きさが妨げになるべきではないのだ。
実際、中華人民共和国の領土の64.3%は55の少数民族のための155の自治地域である。これら少数民族の人口は中華人民共和国の総人口のたった8.46%に過ぎないのだが。
中華人民共和国の一部であり続けるということを条件に、中国当局は領土の64.3%を躊躇することなく民族自治地域として成立させた。中華人民共和国憲法第4条は「全ての民族自治地域は中華人民共和国の不可分の一部である」と宣言している。重要なのはチベット民族自治地域が一つの自治機関によって行政管理されても、また複数の自治機関によって行政管理されてもチベット民族自治地域の大きさは変わらないし、当然中華人民共和国内の民族自治地域の総面積にも変化をもたらすものではないということだ。
)歴史ではなく民族性を重んじよ
中国当局は、一つの行政機関がチベット民族を治めていたことは歴史的に一度もなかった、と言っている。しかしそれは誤りである。
- チベット民族は9世紀半ばまで統一されていた。その後チベットはいくつかの地方国家に分裂したが、1260年、チョゴン・チョゲ・パクパの下に再び一つに統合された。フビライ・ハーンによってパクパに与えられた政治権威は、三つのCholkasにおよぶものとされ、その境界についても明示されている。この統一体制は1730年代まで続いた。その後、ウーとツァンの間に起きた内乱が満州民族の支配力の侵入を招き、清の雍正帝の時代、チベットの一部は四川、甘粛、雲南に合併された。
- 加えて言うが、私たちの要求は歴史的根拠に基づくものではない。周知の通り歴史は流動的だ。世界中のどの国も歴史の中で変化してきた。中国も例外ではない。1949年以前、中国が共産党によって支配された歴史はなかった。しかしだからといってその後60年にわたる中国共産党支配が妨げられることにはならなかったのである。
以上のことを鑑みてもチベット民族を統治する行政機関の数に関わらず、その地域面積の大きさについてあれこれ言うことにさほど意味があるとは思えない。
私たちの要求の根拠となっているのはマルクス、レーニン、毛沢東らの提唱した少数民族のための民族区域自治の概念と、中華人民共和国憲法に正式に謳われた規定なのだ。民族区域自治の概念それ自体が歴史をもとに作られたものではなく、国家における民族問題解決のための方法として革命的な社会主義から生まれたものなのだ。
)区域境界線の変更について
中国当局は国内の区域境界線を修正することは不可能だという。
- しかし民族区域自治法には区域境界線修正に関する規定があり、修正は可能であると書かれている。
民族区域自治法第14条には次のようにある。
民族自治地域の設置、区域境界線の画定および名称の構成に関しては、上級国家機関が関係地方の国家機関および関係する民族代表と十分な協議の後立案され、法的手続きに基づいて許可を申請する。
民族自治地域の区域境界線は一度確定したら、法的手続きを経ずに変更してはならない。変更が必要な場合は上級国家機関の関係部門が民族自治地域の自治機関と十分に協議した後、国務院の承認を受ける。 - しかし私たちはチベット民族自治地域に新たな地域の合併を要求しているわけではない。自治の及ぶ範囲を修正してもらいたいと言っているだけなのだ。いくつもある自治地域の代わりに一つの自治地域が設置されるべきだ。中国の国境線や中国内の区域境界線、ましてや国家の領土保全には何の影響もない。チベット自治地域とその周辺の省や他の自治地域との間に境界線を引き直す必要もないのだ。
)国内の区域境界線修正の先例
- 内モンゴル自治区
内モンゴル自治区はソ連の国家制度を模倣した中国共産党の政策により1947年に成立した。成立当初の内モンゴル自治区はフルンボイル地区だけであった。その後10年間で内モンゴルは西方に拡大し、元々あった6地域のうち5地域が合併されて現在の長細い内モンゴルを形成するに至った。
その後1969年、文化大革命中に内モンゴルは隣接省に分割、編入されたが、1979年には元の内モンゴル自治区として再編された。 - 広西チワン族自治区
広西チワン族自治区はかつての広西省が改編され1958年に成立した。当時からチワン族は広西省でも少数派であった。2000年の国勢調査によれば、広西チワン族自治区の人口のうちチワン族が占める割合は32%にとどまっている。 - 海南省
1988年、海南島は広東省から分離され、新設の省となった。 - 重慶直轄市
重慶市は1997年、四川省から分離し直轄市に昇格した。
5. 機は熟しすぎた
チベット全体を単一の自治機関によって一括統治するという考えは、最近になって提言されたことでもなければ新しい要求でもない。
- 1951年、17条協定の交渉中にチベット一括統治についての提案がなされている。チベット側代表団はこの件に関し、代表団代表アポ・アワン・ジクメーが署名した請願書を提出している。当時の周恩来国務院総理はチベット民族の統合はいい考えではあるが今はその時ではない、と口頭で回答している。
- 1951年9月29日、チベット政府カシャックは駐チベット中国政府代表張経武に対して三つの提案をしている。その一つ目は全チベット民族に対する一括統治に関してであった。
- 1953年、チャムド人民解放委員会副委員長のデゲ・ケルサン・ワンドゥらが、チベット民族の一括統治を要求。
- 1956年、チベット自治区準備委員会設置にあたりラサで会議がもたれた。国務院副総理陳毅をはじめ中国政府代表らは会議において、「青海省、甘粛省、四川省および雲南省のチベット民族居住地区が中央チベットに統合され、ラサを中心としたチベット自治区が設置されたなら、チベットの発展、国家の団結・安定そしてチベット民族と他の中国人民間の調和のために大変役立つであろう」と述べている。
その後中央指導部は共産党幹部桑吉悦希(天宝)を派遣。特別委員会を設置し五省にまたがる地域の統合に向けた具体案の作成を命じた。しかしこの計画はチベット内の極左分子の妨害で進まなかった。 - 1980年、甘粛省甘南チベット族自治州でチベット人党員数名が中央政府に対し同様の内容の請願書を提出している。
- 当時全国人民大会常務委員会副委員長であったパンチェン・ラマ10世はチベット開発プロジェクトの開始にあたり次のように述べている。「統合された全チベット民族のための民族自治区設置を求めるのは当然であるし、その要求は憲法に相反するものでもない。それはチベット民族全般の願いでもある。私たち(中国政府)は機が熟すのを待っているのであって、それを後回しにしたりそれに反発したりしているのではない。」
6. 単一自治機関による全チベット民族統治の利点
中央政府にとっての利点
- 中華人民共和国憲法に謳われた「民族間の平等、団結」の目的達成を助ける。
- 少数民族間、特にチベット民族間に中央政府を信頼する心を育む。
- 地方特有の民族主義を保つのを助ける。
- 中華人民共和国の団結と安定を図る。
- チベット民族と他の民族との調和を促し、平和的共存を保障する。
- 調和のとれた社会を実現し国家を平和的繁栄に導く。
チベット民族にとっての利点
- 全人類に貢献し得るチベット特有の文化とアイデンティティの保護と保存を助ける。
- チベット民族を同化、滅亡から守る。
- アジア大陸全土の環境に影響を及ぼすチベットの繊細な環境の保護の一助となる。
- 社会経済的発展促進を助ける。
自治政府にとっての利点
- 行政管理がしやすくなる。
- 行政管理費を削減できる。
- 全コミュニティーのための開発計画に基づいた天然資源の有効利用ができる。
- 教育、医療、環境など各領域において平等な政策を作成できる。
- 中央政府、省そして他の自治地域と調和のとれた政策施行を助ける。
7. 結論
中華人民共和国に居住する全てのチベット人の基本的要望は、チベット民族固有のアイデンティティを保護し発展させていけるような平等の政策が実施されることである。少数民族がそのアイデンティティを保護、発展させる権利は中華人民共和国憲法および関連法で認められている。先に述べた数々の事実を鑑みれば、チベット自治地域全土に対して一つの自治機能を持たせることは当然望ましいだけでなく、容易に実現可能であることがわかる。これを実現させるためには憲法改正の必要もなければ、政策や政治体制を変える必要もない。指導部の政治意思さえあればそれは実現できるのである。
(訳者:中村高子)
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