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カルマ・ゲレク・ユトク師の仏教基礎講座シリーズ Part4

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- 転生と化身の仏教的概念 -

転生と化身の概念は、仏教と共に始まったものではありません。2587年前に仏教教義が出現する以前に、いくつかの主だった東洋の宗教的伝統の教義に含まれていました。そのような古来の宗教伝統で我々チベット人が知っていた最も良い例は、釈尊(紀元前623~544年)の出現以前にインドに在ったものでしょう。それらのインド古来の宗教的伝統は、現在では総括してヒンズー教、ヒンディズムと呼ばれています。ヒンズー教と仏教とは基本的に2つの全く異なった宗教ですが、教義的にも倫理的にも幾分の基本的な原理を共有しています。そのような共通の見解の1つに、転生論を信じることがあります。ヒンズー教、仏教、双方の教義においても、化身は単に、転生論をさらに拡大したものです。

仏教における転生の概念は、単なる信仰などといったものではありません。その原則の上に、仏教の教えの全ての意図と体系が説明されなくてはならない極めて重大な教義なのです。言い換えると、苦、解脱、涅槃といった基本的な仏教の教えのどれも、転生の連鎖という土台無くしては説明され得ないのです。故に、転生の現象を把握しないうちに、様々な複雑で高度な行を実践しようとすることは、宗教劇を演じる役者にとても似通うことと言えるでしょう。この比較は、形式上のことではなく、事実なのです。なぜなら、釈尊が、3つの最も深刻な誤りの見解として、三宝の帰依、カルマの法則、転生の概念を信じないことであるとしたほどの重大な問題だからです。

これらの理由のために、少なくともチベット仏教では、転生の現象の真実に踏み込んだ徹底的な研究は、仏教教義全体の学習と修行において中心となります。しかしながら、外界的な性質を持つ対象ではないため、論理的推論によらなければ、転生を分析し立証することはできません。実際、解脱、悟り(仏性)、無我といった基本的な仏教概念の多くは、論理的推論を通して研究され確立されなければなりません。

仏教用語では、知覚されないことを論理的な推測を通して知る過程を比量(ひりょう 注1)と呼びます。そのため、転生の現象を知る事に興味を持つ人々は、まず、この推論のプロセスに親しんでおかなければいけません。その仏教の比量の形式は、いくらか西洋の3段論法に似ているように見えます。しかし、2つの体系が同じであると言えば、誤りでしょう。私の知る限り、仏教の推論方法は、はるかに洗練されており、決まりきった答えを引き出すものではありません。それによると、結論を引き出す決定的な力となるのは、理性を使うことではなく、心で推測することにあります。

正当な推論方法のシンプルな例として、煙があることで火を推測することです。しかし、どこであろうとも煙を見るたびに、火を推測するのは誤りでしょう。このことをはっきりと物語っているのは、煙が火の正統的な理由となるには、確かな方法で手がかりを心で掴まなければ、煙で火があると結論付けることはできないことです。ある人は、どのようにしてチベット仏教の論理学を修得するのだろうと思うかもしれません。これは、チベット仏教で5つの主要科目の1つとして、因明(いんみょう 注2)と呼ばれているものです。チベット仏教の教育では、この科目を鍵として主要な仏教教義の錠を開けなければならないとされています。故に、この因明の重要性は異論の余地の無いものです。

話を転生に戻すことにして、煙から火を推測するようには容易にはいきません。似通った論法が用いられているとはいえ、その不明瞭な性質のため、はるかに複雑なものになっています。このような短い文章の類では、転生現象の真実性を確立した伝統的な論拠の詳細を述べ得ません。それでも、入り組んだ論理の過程の大筋を掴むことは難しくありません。私は、読者の皆さんがここにあげる略説でこの伝統的信念の基本的な認識を得ることができればと思います。

個人の命や誕生について語る場合、その人を認識するものとなるのは、その個人の身体と心です。今の身体が今の生涯のみとあることを皆よく知っています。今の身体を過去生から持ってきたのでもなく、また来世に持って行けるものでもないことは明白です。ある人の幾多の生涯を通じて継続する何かがあるとすれば、それはその人の心ということになります。仏教における心とは、意識や自覚の特性を持つものとされています。 転生の問題があがった背景にある基本的な主張とは、「心は永続する」というものでした。

過去生と来世についての伝統的理論の実際の陳述は、以下のようなものです。

  1. 全ての心は、その前の人生の心を引き継いでいる。新しく懐胎された子は、すでに1つの心を持っている。よって、新しく懐胎された子の心は、以前の心から続いているものである。
  2. 執着ある人々の全ての心は、次の生の心に続く。死の床にある平凡な人間の心は、執着心を伴っているものだ。よって、息を引きとろうとしている平凡な人間の心は、そのまま次の心へと続くのである。

このように、新しく懐胎された子供の心が以前の心より続いているものだと確証できれば、その子供の過去生の存在を立証できることになります。同じように、亡くなりつつある平凡な人間の心が次の心へと続くことが確証できれば、その人物の来世の存在を立証できることになるのです。

けれども、ここで難しい点は、最終的な結論を導かないことです。代わりに、まず、その根拠の真実性を立証しています。3つの概括的なものと、2つの詳細な立証されるべき主張があります。

  1. 心ではない現象は心に変化しえない
  2. 人の意識の本流は永続する
  3. 意識は個的存在と離れることなく留まる
  4. 全ての心は以前の生の心より引き継がれたものである
  5. 全ての平凡な人々の心は次の心へと続く

適切な論理により転生を確信する前に、転生を信じる心を発展させることができます。しかし、そのような信仰は浅く不安定であると言われています。論理を把握して発展した信仰は、堅固で確かなものであると言われます。だからこそ、釈尊は理解を通じて信仰を発達させることを強調されたのです。

すでに述べましたように、化身の概念は、一般的な転生の概念が高度化あるいは特殊化したもの以上の何物でもないのです。教義上では、化身と転生、この2つの用語は同義であるともとれるでしょう。しかし、慣例では、両者の間にはいくらかの差異があります。主な違いは、死につつある人が自身の意思と選択によって次の誕生を決めるか否ということです。自身の意思と選択によって誕生する人が、化身と呼ばれるのです。このように、化身は1種の特殊な転生なのです。

ほとんどの生き物は、自分の意思や選択によってではなく、過去の行為(カルマ)の力によって誕生します。この一般的な種類の誕生を単に転生というのです。もちろん、現実には常にこの区分けの通りではありません。多くの偉大な化身が一般的な転生者として現れ、多くの普通の転生者も化身者の名をとりました。つまり、これらの名称にはそれほどの意味はないのです。仏教徒の観点から何が重要かと言うと、全ての生けるものを最も尊敬する導師や愛する人の真の化身であると見なすことにあるのです。

注1)比量

推論。推知論。推理。ただし論証の意味をも含めている。仏教の論理学は、それを「自分のための推理」(推論的思考)と「他人のための推理」(論証)とに分けている。三量(3つの認識方法)の1つ。我々が1つの事象によって他の事象を正しく推知すること。サンスクリット語で、anumana。

注2)因明

理由(因)の学問(明)という意。仏教の論理学。五明の1つ。その形式は、論証する命題としての宗と、その成立理由である因と、例証としての宗と因の関係を明らかにする喩とから成る。この中で因が最も重要であるから因明と称する。インド一般に行われていた論理学のことを、仏教側で「因明」と呼んだが、中国・日本では仏教の論理学を「因明」と呼ぶに至った。サンスクリット語で、pramana。

(東京書籍・「仏教語大辞典」より)

(原文英語より和訳)

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