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カルマ・ゲレク・ユトク師の仏教基礎講座シリーズ Part2

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- 人間の命 最も尊い生命体 -

仏法(ブッダダルマ)の準備段階の教えの基本の1つに、人間の命の価値とその性質について深く考察し探究するということがあります。これは、近代において人間の生命の目的とは何かと問うことと一致するものであるように聞こえます。しかし、この2つが追求するものはそれぞれ物質と精神という相対するものが論点となっているのです。仏法では、まず私たちが人生の目的を決める前に、私たちがこの世で授かった命が、本当に何か価値のあるものであるのかどうかを深く考え探求すべきであると説かれています。そして、もし価値のあるものであるならば、私たちはいかにしてそれを自分たちに有利となるようベストを尽くすことができるのでしょうか。学術的もしくは宗教的な諸研究には、人間の生命は運命として意図することがあるのかどうかということを追求し偉大な価値観を持ったものがありますが、ここでは触れないことにします。

仏法によると、人間としての命は価値があるだけでなく、非常に尊いものなのです。そのように考えられる理由は、他でもなくそのまれでユニークな性質によります。あらゆる人間の性質において最も偉大なことは、知性の力―考える、知る、そして分析する、があります。ここでもう1つ大事なことを付け加えなければなりません。それは、人間の命の尊さは絶対的なものではないということです。その尊さは、生命の真の価値を知り、出来る限りベストを尽くすよう専心する人にのみ与えられるのです。不幸にも多くの場合、人間の存在は明らかに諸悪の根源や悪の道具となります。もちろん、この場合、非難の対象となるものは人間の命そのものではなく、その命を扱う者にあるのです。

仏法では、第1に人間として生を受けることは極めて難しいことであり、それを得ることは最も価値のあることと説いています。例えば人口の問題について考えてみましょう。これは大変現実的で真剣な問題です。しかし、人類の数と魚類の数を比べて、それは比較にならないことが簡単にわかるでしょう。ですから、限定された生命の総数で人類の割合が大きく占めるという観念、事実、人間として生まれてくることは大して難しいことではないというような考え、これらを打ち消すものです。数だけを考えても、人間としての生を獲得することは不可能に近いことは確かなのです。

それではちょっと、私たちのこの小さな惑星、地球に限定してみましょう。この地球上に存在する生物の数を推測する研究は昔も現代もなされていません。私が思うには、私たちはある限定された数字よりもむしろ「無限の」「無数の」「無限に近い」などで表すほうが適しているかもしれません。それでもここで仮に、この地球上の生物の数は1万兆であると想定してみましょう。そして全人類の人口も倍にして百億と想定しましょう。すなわち、100万の生物の数に対して1が人間の数になるのです。言いかえれば、この地球上の生物の総計において人間の数は100万分の1なのです。ゆえに、ランダムにこの地球上で人間として生まれてくる確率は100万分の1になります。

いずれにせよ、人間としての命を確保することの難しさは、その数字ではなくその条件と原因にあると言われています。大多数の生き物は常に悪しき考えと行いに明け暮れ、来世に下界で苦しみ生きていくことの原因と条件を確実に作っていると言われています。人間としての生命体は天上界(上界)の1部分であり、この世界の生き物の中で善き考えと行為を持つことが可能な、自然が生み出した唯一の存在なのです。しばしば仏法は、後悔を招く根本となる状況を認識し言及しています。その状況とは全ての生き物は幸せを願い、苦しみを望まないにもかかわらず、結果として大部分は実際に幸せを招くことを打ち消し、苦しみを招くようなことを行っている有様です。言いかえれば、人間は幸せを望むが、いかにして幸せをもたらすかを知らなければ、苦しみを望まないが、いかにしてその苦しみを乗り越えられるかを知らないのです。仏法の総括的で唯一の使命とは、悟りと智慧の道に至る教えを通して、この根本的無知の状況を覆すことにあるのです。上記に述べた事柄を考えると、人間がまれで且つ尊い生命体であるという真実については、疑いの余地は無いはずです。

何故、人間が並外れて尊いのか、その究極的な理由は、ただ単に類まれであるからではなく、あらゆる生き物に対して、どのようにして悟りと解放への偉大なる使命の土台となり、その担い手となるかにかかっているからです。仏法を学ぶことで無知を悟りへ、悪しき行いを善き行いへ、そして人間の生命体としてふさわしい土台をなすもの(命)とその媒体(自己)を通してのみ、苦しみを幸せへと変えることを始めることができ、発展させ、そして完成させることができるのです。それはすなわち、私たちの長い精神的旅(spiritual journey)の過程において、荒々しい海を渡る船であり、山頂を制覇するためのベースキャンプのようなものです。私たちはこの一生の間、限られたこの宝にベストを尽くすべきではないでしょうか。

現在の人生を些細な目的のためだけに費やすことは、天才に家の下働きだけに従事させたり、高価な白檀の木を薪にしてしまうような愚かな行為に例えられます。

人生を最良に活用することとは、仏法によれば、あらゆる悪しき考えと行いを捨てることであり、善き行いと徳を積み重ね、この人類の時代の仏(ブッダ)である釈尊によって説かれた4つの聖なる真理(四聖諦 ししょうたい)を修行し、動揺しやすい自分の心を完全に平常心にすることにあります。この4つの聖なる真理のうちの最初の2つを正しく修行することで、来世でのより高い生まれ変わりを確実のものとし、3つめを正しく修行することで徐々に悟りと解脱に到達するのです。これでいかに人間の命が偉大なる価値を持つものか、おわかりいただけたでしょう。


(原文英語より和訳)

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